説教要約(12月)

2020年12月12(日)  説教題:「幸せな人」  聖書;ルカによる福音書1章26-38節

 天使からイエスを宿すことを告げられたマリアは、同じ体験をしている親類のエリサベトを訪ねるために「急いで山里に向かった」と書かれています。このときのマリアの気持ちはどのようなものだったでしょう。喜びに溢れて走っていったのか、それとも不安を覚えて騒ぐ心の中で向かったのか。その両方があったのではないかと私は思います。これからマリアに待ち受けているのは、喜びばかりではありません。「婚約者によらずに子どもを産んだ」というレッテルも貼られてしまいます。それは命の危険も伴う状況です。いろんな感情がある中で、マリアはエリサベトのもとに向かいました。

 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、胎内の子が踊りました。それを感じたエリサベトは聖霊によって満たされマリアを祝福いたします。お互いがここで出会ったことによって、それは起こったのです。45節にはこのようにあります。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」この二人は神様の選びを喜ぶと同時に、不安も感じていました。しかしこの二人が出会ったことによって、それは幸いなこととなりました。エリサベトは、まるで預言者のように語りマリアを祝福します。マリアが訪ねて来てくれたこと、自分に臨んだ神様の言葉が成就していることを知ったのです。マリアも幸せに溢れ、神様を讃えました。喜びと不安の中マリアとエリサベトの2人こそが、それを幸せと呼ぶことができたのです。

 この2人が神様の御心を信じたことによってヨハネとイエスが誕生します。二人の幸せな人によって誕生した命です。ここに「否定されない命」が誕生いたしました。この命は拒絶されるかもしれなった命です。ですが、神様が与えられた命が否定されなかったことによって、私たちの救い主は誕生いたしました。それがクリスマスに起こった出来事です。この命が否定されなかった出来事。そして二人に訪れた幸いは、いまを生きる私たちにとっての幸せでもあるのです。

神様が2人の女性に授けた命。その命と同じように私たちの命も、否定されたものではありません。神様は誰の命も否定されていません。イエスとヨハネが誕生したように、どの命も幸せなものです。それぞれの状況には違いがあります。困難や不幸も数えきれないほどあります。それでも神様は命を否定されませんでした。マリアもエリサベトも、その幸いを信じました。その命が長かろうと、あるいは短かろうと。惨めだろうと、無様だろうと。どんな命であろうとも。神様が創った命は幸せなものです。誰が何と言おうとも、神様だけは私たちの命を幸せなものとして、祝してくださいます。このクリスマスの出来事によって、それを教えて下さる方が与えられました。そしてその方の誕生を想い起すときに、否定されない命の、そこにいた2人の幸せな人をみるのです。

 

       2020年12月5(日)  説教題:「       」  聖書;   による福音書1章26-38節