説教要約(8月)

2017年8月27(日)  奨励題:「『ぶどうの木』につながって」  聖書:マタイによる福音書15章1~5

※信徒奨励でしたので要約はありません。奨励者は北尾美津子姉でした。

2017年8月20(日)  説教題:「蛇の知恵、鳩の従順」  聖書:マタイによる福音書10章16~25

 イエス様はこの世界を狼が住む場所だと言われました。その中で最も危険なのは羊の皮をかぶった狼です。私たちは素直に鳩のように生きることだでなく、蛇のおような賢さでその羊の皮をかぶった狼を見抜く必要があります。
 私たちの日本基督教団は戦時中に政府の管理下に置かれるために作られました。鳩のような従順さで国策に従い、更には戦争協力にまで及びました。国家が狼となって戦争の牙をむき出しにしたことに気付くことができませんでした。
 今年は「第二大戦下における日本基督教団の戦争責任についての告白」がだされて50年目になりました。その中で戦時中の罪を悔い改める言葉と共に、私たちには「見張り」の役目があるということが語られました。
 社会で起こる様々な問題について、信仰の目を持って「見張り」を行い、時に間違った方向に進むときに聖書から聞き受けた神の言葉を語らなければならないのです。教団で信じるとは、その役目をも受け継いでいるのです。
 この告白文でもう1つ、大切にしたいのは「摂理」と言う言葉です。「摂理」とは神様のご計画です。告白文では教団が戦争に協力するために生まれたことが「歴史の主なる神の摂理」だと書いています。
 当時の教団議長鈴木正久先生は言いました。「摂理と言うのは、人間の罪にもかかわらず、その罪さえも逆用して遂行される主のみ旨であります」。私たちの教団が罪の中で生まれたとしても、それを恵みに変えられる神様を信じたのでした。
 私は思います。鳩の従順さとは私を受け入れて罪を認めることであり、蛇の知恵とはその罪をも恵みに変えて下さるという神様のご計画を信じることだと。私たちはこの教団の歴史を背負いながら、罪を悔い改める時に、それを包んでくださる神様の優しさを知るのです。

2017年8月13(日)  説教題:「偽りの平和」  聖書:マタイによる福音書10章34~39

 聖書には驚かされることが何度もあります。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。」しかし、時に真実を明らかにするために真逆のことを語っておられるのかもしれません。
 イエス様は平和ではなく、剣をもたらすために来たと言われました。それは、剣によって今の平和を破壊するというのでしょうか。なぜ、平和を破壊しなければならないのでしょう。もしかしたら、平和だと思っている私たちに問題があるのでしょうか。
 今年は「第二次大戦下における日本基督教団の戦争責任ついての告白」がだされて50年目になりました。時期は遅くなりましたが、戦争責任について非を認めてそれを明文化したことでこの文章は一定の意義を持つことになりました。
 しかし、一方でこの告白文に足りない部分も見つかりました。それは戦後、沖縄にある教会を見捨てたことでした。日本国家と同じように沖縄を犠牲にして自分たちの平和を追い求めてしまったのでした。
 犠牲の上に成り立つ平和は、平和と言えるのでしょうか。剣をもたらすと語り、平和を破壊すると言ったイエス様に、そう問われているように思いました。互いにミサイルを向け合い、軍事力のバランスによって生み出されている平和は、実は偽りの平和なのかもしれません。
 安部首相が「積極的平和主義」と言う言葉を使って話題になりました。なぜなら、その言葉は、平和学者ヨハン・ガルトゥングが考えた理論だったからですが、それを知らずにアメリカの戦争に積極的に協力するという意味で使われました。
 平和学者ヨハン・ガルトゥングの考えはこうでした。戦争がないだけでなく、貧困、抑圧、差別など「構造的暴力」がないことこそ、「積極的平和」というのです。私たちの平和にはいかなる暴力もゆるしてはいけないのです。キリストの十字架は力の放棄です。あるべき平和の象徴です。

2017年8月6(日)  説教題:「告白から50年」  聖書:マタイによる福音書9章9~13

 気持ちを言葉にすることがどれほど難しいかを日ごろ感じています。様々な思いの中でも謝罪することはより困難なことです。でも、その言葉を待っている人々がいますし、悔い改めることこそ、信仰の土台であると思っています。

 日本基督教団が戦争責任について告白した「第二次大戦下における日本基督教団の戦争責任についての告白」が公表されてから50年目になりました。戦争から17年が経過した1967年、教団創立25周年のことでした。

1941年、日本基督教団は生まれました。残念ながら、キリスト教によって1つになろうという前向きな運動ではなく、戦時下における統治・動員を目的として政府からの要求をのみ込むことで出来た組織だったのです。

 政府からの圧力に負けてしまったということだけでなく、当時の日本基督教団が戦争に協力的であったことも忘れてはなりません。戦闘機購入のための募金活動、勝利祈願のための祈祷会、礼拝前の天皇崇拝などが挙げられます。

 これらの罪に対して告白文を出したのは戦後17年目のことでした。あまりにも遅い出来事でした。ドイツの教会グループは戦後すぐに出しています。でも、遅くなったとはいえ、罪に対しての告白なしに神様の言葉を伝えることは出来ない、そのように考えたことは大きな意味があります。

私は戦争責任を考える時に過去の人々を責めたいとは思いません。それよりも、もし、当時に私もそこに生きていれば戦争に反対できなかっただろうという、自分の弱さを思わされます。罪から逃れるのではなく、乗り越える勇気を神さまに願い求めます。