説教要約(3月)

   ★ 2015年 3月 29(日) 説教題:「裏切りの接吻」     聖書:ルカによる福音書22章47~53節

十字架で受けた痛みと死だけがイエスさまを苦しませたのではない。何よりも残念なのは裏切りによってイエスさまが捕まったことであり、裏切った張本人がイエスさまが選んだ弟子の一人、ユダだったことは一層深い衝撃だった。

  なぜ、ユダが裏切ることになったのかは分からない。それにしても、弟子であり、友と呼ばれていたユダが裏切ったことはイエスさまを傷つけたに違いない。それも、親しみの挨拶である接吻が最後になるのだから。

  弟子の一人が裏切ると言う衝撃的な事実は、後のキリスト者にとっても受け入れがたいことだった。ルカによる福音書にはそのことがにじみ出ており、「接吻をしようと近づいた」と言う表現になっている。

  その他の福音書では確かに接吻をしたことになっているが、ルカによる福音書では接吻をしたかどうかは明らかにしていない。イタリアの画家ジオットの「ユダの接吻」はイエスに触れていない。触れてほしくない思いなのだ。

  「信徒の友20153月号」で、1つの証しが載せられていた。小学2年生の娘を交通事故で亡くされた方のお話。夫は葬儀の時に「娘を殺した車も人も焼き殺したい。でも、娘が赦してあげてと…」胸をつまらせながら話したと言う。

  その娘との思い出の中で、ある時、風呂の中で夫と娘が話をした。「お父さんは死んだらどこに行くの?」「そうだな、お父さんは神さまを信じてないから地獄だな。」「じゃあ、かわいそうだから、私が天国から手紙を書いてあげるね」

  父としては少し皮肉を言ったつもりだったかもしれないが、娘さんはそれをまっすぐに受け止めた言葉だった。このお話を聞いてイエスさまの思いが、この裏切りの接吻にもあると教えられた。

  すべてのことを知りながら、ユダの接吻を受けようとするイエスさまは、すでにユダを赦していた。つまり、ユダの悪意を超えて、それを裏切った接吻なのだ。ユダは裏切ろうとして行った接吻は、その気持ちを知りながらユダを赦した接吻だったのだ。その深い愛情によって、私たちもまたすでに赦されている。

★ 2015年 3月 22日(日) 説教題:「かわいい息子を」 聖書:ルカによる福音書20章9~19節


あるぶどう園での話。主人は園を農夫たちに預けて出かけてしまう。その間、農夫たちは主人がいないのをいいことにふどう園を自分の物にしてしまう。主人は息子を遣わして、その農夫たちに園を返すように訴えるのだ。

 

この話はたとえである。主人は神さまであり、農夫たちは私たち人間。遣わされた息子はイエスさまなのだ。たとえでは息子は殺されてしまうが、それもまた、十字架の出来事を意味したたとえである。

 

さて、このたとえは、私たちが犯す大きな勘違いを教えてくれている。それは、何一つ、命でさえ、わたしたちの物ではなく、全ては神さまから与えられたものであるのだが、それを忘れて自分の物であるかのように生きている。

 

島秋人と言う詩人をご存知だろうか。朝鮮出身の死刑囚であり、獄中で歌を詠み始めて詩人になったクリスチャンだ。本名は中村覚であり、島とは故郷の島町、秋人とは「囚人(しゅうじん)」からとられたペンネームだと言われている。

 

中村氏の過去は暗かった。貧しさから殺人を犯して気が付けば死刑囚となっていた。獄中で彼は人生で一度だけ褒めてくれた先生に手紙を書き、そこから詩に出会い、詩を通して多くの良い出会いを手に入れることになる。

 

彼は最後まで遺族に謝罪をしなかった。それは、中途半端な言葉ではなく、自分の死をもってしかできない謝罪だと思っていたからであり、死刑の直前になって謝罪の手紙を書いている。つまり、彼の命はもう彼の物ではなかったのだ。

 

死刑の直前に残した彼の祈りがある。「ねがわくは、中略、わたくし如き愚かな者の死の後は死刑が廃(はい)されても、犯罪なき世の中がうち建てられますように。わたくしにもまして辛き立場にある人々の上にみ 恵みあらんことを。主イエス・キリストのみ名により アーメン」

 

自分のことしか考えられなかった島氏が最後には「わたくしにもまして辛き立場にある」人のことを思って真剣に祈っている。私たちも神さまの前では彼と等しい罪深き死刑囚なのである。だからこそ、今、悔い改めたい。

★ 2015年 3月 15日(日) 説教題:「命の光に照らされて」 聖書:ルカによる福音書9章28~36節
 イエスさまの姿が光輝くことは、ただ、神の子であるキリストの本当の姿を現しているだけでない。それは、物語の前にある死と復活を予告することとつながっている。

人々のために奇跡を行い、無罪のままで処刑されるイエスさまの人生とは、正に暗闇の姿だった。その死を予告したことと、山の上で光輝く姿とは全く対照的になっているのだ。
 また、山の上で会ったモーセは奴隷となっていたイスラエル民族を解放した指導者であり、エリヤは神さまについて教えた預言者である。そのような偉大な人たちと話し合う中で、無残にも処刑されたイエスさまの本当の姿を描こうとした。
何よりも、最後に神さまの声が出てくるのは、イエスさまの死が身勝手な出来事ではなく、全て神さまの計画通りだったと言うことなのだ。神さまの世界では偉大な人たちとの相談の中で、神の子が犠牲なることが決められたのだ。
ここで気になるのがペトロの様子である。彼はこの出来事に興奮したのか、山の上に記念として小さな小屋を立てると誓っている。いかにも、何かしないと気が済まない彼らしい行動である。
その姿を見ながら思うのは、神さまは聖なる場所だけにいるのだろうか。山が教会だとすれば、神さまは教会だけにいるのだろうか。もし、小屋を立てるのであれば本当は山の上ではなく、山の下にあるべきだったのかもしれない。
山の上で光輝いたイエスさまの姿は私たちの姿でもある。いつも、私たちを天から見守り、温かい光によって照らしてくださる神さまがおられる。それは、十字架の道を歩くような辛く厳しい時にも上から注がれている。その支えを受けながら、この地上で与えられた役目を果たしていきたい。

★ 2015年 3月 8日(日) 説教題:「自分を捨てて」 聖書:ルカによる福音書9章21~27節


 十字架の死は突然ではなかった。イエスさまは福音書によれば、死と復活について三度に渡って弟子たちに予告したとある。愛する弟子たちに死を予告しなければならなかったその心境はどうだったのだろうか。
ただ、死と復活を予告したのではない。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と語ったのは、弟子たちに十字架をきっかけに何かを決心させるつもりだったのだろう。
「自分を捨て」とはどのような意味なのだろうか。その後には、命を失っては全世界を手に入れても仕方がないともある。つまり、命ほど大切なものはないと言うことだろう。矛盾するような言葉の前に考え込んでしまう。
  最近、イスラム教過激派による自爆テロがよく知られるようになってきた。マスメディアでもそこに注目されることがあり、よく理解されていない方々からは、宗教とは死まで強要するように考えられている節があるだろう。
 確かに、神への信仰から死を選ぶ人もいるだろうが、その中には家族のために仕方なく選ぶ人もいるのだ。実際、自爆テロを実行すれば遺族に多額の資金が与えられることが約束されていると言う。
 死と復活の直前には、ペトロの信仰告白がある。あなたは生きてこの国を復興させる救い主だ、と言う告白に対して死と復活の予告は真逆の答えのように思う。ペトロの言葉には、イエスさまにどこまでもついていく覚悟が含まれている。
 イエスさまはその覚悟を混乱させる意味で死と復活を、そして、命こそ大切であることを語ったのかもしれない。混乱すると覚悟は弱まり、ペトロであっても死に躊躇するだろう。
 そうして、生き残る選択を与えられたのがイエスさまの愛だったのではないか。正義を通すことが難しい世界において、神の義は死の恐れではなく、生きる希望の中で見出されるものであり、十字架を前にしても、そこから逃げ出さずに突き進んだイエスさまのメッセージなのだ。

  ★ 2015年 3月 1日(日) 説教題:「十字架を背負った   人たち」 聖書:哀歌3章17~24節

 先月のことだが、沖縄に行ってきた。旅行であれば申し分なかったのかもしれないが、教区社会委員会の研修として米軍基地の問題とそこで生きる人々の戦いを目の当たりにした。
  沖縄県の面積は、日本全土に比べるとわずか0.3%ほどだが、国内にある基地面積の7割以上が沖縄に集中している。原発問題と同じで、なぜ一部の人々に過重な負担を強いてきたのかが問題の焦点になる。
 ただ、基地が集中していることだけが問題ではない。例えば、普天間基地は滑走路に安全を確保するための広さが不足し、墜落の危険性が高い場所に住民が住まざるを得ない。
 更に嘉手納基地は、弾薬庫を含めると嘉手納の町の8割を占めており、その狭い土地に所狭しと家々が立ち並ぶ。基地から発せられる爆音、墜落の危険性、米兵の犯罪に怯えながら、そこで人は生き、子どもたちを育てなければならない。  
 日本本土の平和のためと言う人は多い。沖罠県も本土なのだがその意識は弱いと言わざるを得ない。世界に誇る平和憲法の裏側には、米軍基地に頼らざるを得ない自分たちの弱さがあり、そのしわ寄せが沖縄にあるのだ。
 およそ100年前のことだが、「人類館事件」と言うものがあった。大阪で政府主催の商業博覧会の場で生きた人間が展示された。珍しいとされる民族、人種の中に琉球民族(沖縄の先住民族)も含まれた。
「人類館」と呼ばれたその見世物小屋での問題は過去だけのことではない。人が人を見下す気持ちは感情を超えて社会の中に構造として形を成している。人を色分けして見る目から、基地は沖縄にあるべきとして作られた社会が生まれた。
 キリストの十字架は今、どこにあるのだろうか。一番困っている人のところにあるのではないか。私たちが担うべきものを知らず知らずのうちに誰かに任せていないだろうか。そして、私たちができることは何であるか。神さまに問われているような気持ちで日々の歩みを振り返る必要がある。