聖句配信  毎日「神」聞 (3月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです


★今週のテーマ 「十字架を背負って」

3月25日(月) 詩編126編6節

     種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

        聖書は言います。私たちの背負ってきた悲しみは種だと。喜びを生む種だと言ってくれています。


3月26日(火) イザヤ書53章4節

     彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、 と。

        自分の負うべきものを家族や先生や友人たちに背負ってもらうことが多かった。だからこそ、今度は私の番だと思う。神さまの与えられた役目として。

3月27日(水) エレミヤ書10章19節

     ああ、災いだ。わたしは傷を負い わたしの打ち傷は痛む。しかし、わたしは思った。「これはわたしの病 わたしはこれに耐えよう。」

        同じ病気でも苦しみは違います。病気と闘い、恐れと闘い、弱音を吐く自分とぶつかるのです。そんな時、十字架は勇気をくれます。苦しんだキリストなら私の苦しみも 理解できるからです。

3月28日(木) マタイによる福音書16章24節

    それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 」

        わたしの十字架とは何だろう。私の弱さ、私の未熟さ、私の強情さ。何癖もある私の生き様を神様は十字架として意味あるものだと言ってくれている。

3月29日(金)ヨハネによる福音書1章23節

     ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

        ふり返ると曲がりくねった生き方をしてきました。神さまの前で、もう一度、背をのばし、歩み直したいと祈ります。

3月30日(土) ヨハネによる福音書14章6節

      イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。」

        わたしにとって「鳥」は大切な文字になりました。羽ばたく鳥、後は濁さず、思い出だけを残して行きます。神さまが導き、皆さんと歩んだ8年間の道のりが終わります。

★今週のテーマ 「わたしとワタシの戦い」

3月11日(月) 詩編22編25節

     主は貧しい人の苦しみを 決して侮らず、さげすまれません。

        信じている私と疑っているワタシがいつもいます。神さまがその私を応援してくれています。


3月12日(火) 創世記32章25節

     ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

        見えない敵との闘いがあります。その時に、神さまが共に戦ってくださるという希望が生まれます。

3月13日(水) 出エジプト記 17章11節

     モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。

        私たちの戦いは祈りの手を上げることで変わります。祈りの手を高く上げて勇気をいただきましょう。

3月14日(木) 詩編95編6節

    わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。

        命を与えられた者として生きる時、謙遜に互いを受け入れることが出来るのだと思います。

3月15日(金)ヤコブの手紙5章13節

     あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。

        信じることは力です。悲しい時には祈ることができ、うれしい時には歌が生まれるからです。

3月16日(土) エフェソの信徒への手紙4章32節

      互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

        生きて行く上で、相手をゆるし、自分をゆるすことで、自分がゆるされていることを知ります。