聖句配信 毎日「神」聞 (2月)
※は森嶋牧師のコメントです
★今週のテーマ 「古い傷と新しい慰め」
2月25日(月) イザヤ書49章13節
天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ。主は御自分の民を慰め その貧しい人々を憐れんでくださった。
悲しむ人に慰める人が、貧しい人に与える人がやってきます。神さまが送ってくださるのです。
2月26日(火) ヨブ記21章2節
どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。
賛成も、否定も、なくていいのです。「うん、うん」と聞いているだけで、孤独がいやされるからです。
2月27日(水) 哀歌1章12節
これほどの痛みがあったろうか。わたしを責めるこの痛み 主がついに怒ってわたしを懲らす この痛みほどの。
辛い経験は神さまをも恨みます。神さまのせいにしてもいいんです。親は恨まれても変わらないとの同じです。
2月28日(木) ルカによる福音書5章19節
しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
入り口は1つではありません。答えは1つでなくてもいいです。あなたらしく、あなたのままに。
3月1日(金)コリントの信徒への手紙二7章 9節
なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。
悔い改めとは見え方が変わることです。悲しむ人には、その人しか見えないモノがあるのです。
3月2日(土) コリントの信徒への手紙二12章10節
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
理由は分かりませんが、好きな言葉です。ほっとします。飾らない自分をみつけます。
★今週のテーマ 「『おめでとう』と言いたい」
2月4日(月) 詩編85編13節
主は必ず良いものをお与えになり わたしたちの地は実りをもたらします。
過去に生きると人と未来に生きる人がいます。おめでたい人と言われたとしても、明日は明るいと思いたい。
2月5日(火) 箴言19章21節
人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。
計画が実現しないとしても、意味がないわけではありません。いつも、最善がそこにあるからです。
2月6日(水) ホセア書10章12節
恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。
受けるよりも、与えることが多いと感じます。相手の畑に一生懸命、種まき、水やり、励みましょう。
2月7日(木) ローマの信徒への手紙12章14節
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
「呪う」と「祝う」はわずかな差です。でも、生き方は大きく違います。嫌いな人にでも、おめでとうと言える余裕を持ちたい。
2月8日(金)1:ヨハネによる福音書12章13節
なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」
礼拝は神さまにおめでとうと言う日です。それは練習です。自分のことを脇に置く練習です。
2月9日(土) ルカによる福音書1章28節
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」。
おめでとうと言えない私がいます。人と比べ、自分を見失います。その私を神様は見つけ出してくれます。