聖句配信  毎日「神」聞 (8月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです


★休暇のため、27、28日はありません

8月29日(月) 箴言17章1節

      乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。

        今日も一日の食事があることに感謝し、食事を共にする人がいることを感謝いたします。


8月30日(火) マタイによる福音書14章27節

     イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

        独りで不安になることは多いですが、すぐ近くに神さまがおられることを忘れているからでしょう。

8月31日(水) コリントの信徒への手紙二12章9節

      すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

        この言葉に勇気をもらいます。弱さを忘れては祈ることもできないからです。

9月1日(木) エフェソの信徒への手紙6章9節

    あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。

        宇宙から見た地球は宝石のように美しいと聞きました。天におられる神さまからすれば、どのような人も大切なものなのです。

★今週のテーマ 「平和の土台」

8月20日(月) 詩編67編2節

      神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように。

        今日も太陽が昇ります。それは神さまの笑顔のようです。世界を包む光です。


8月21日(火) ホセア書6章6節

     わたしが喜ぶのは 愛であっていけにえではなく 神を知ることであって 焼き尽くす献げ物ではない。

        平和を作るために必要なのは犠牲ではなく、相手を憐れむ気持ちです。

8月22日(水) ヨナ書4章2節

      あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。

        どれほど過ちを犯しても、神様は帰ってくるのを待っておられます。思い直し、赦し、和解されます。

8月23日(木) マルコによる福音書12章10節

    聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。 』

        自分の苦しみが無意味に思えても、キリストはその意味を知っています。キリストは世界から捨てられた痛みを乗り越えたからです。

8月24日(金)ローマの信徒への手紙3章10節

     次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。 」 

        この言葉を聞くと、一歩ゆずろうという気持ちになります。自分が正しいという考えを捨て、神さまだけが正しいことを知ります。

8月25日(土) コリントの信徒への手紙一14章33節

      神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。

        キリストの十字架は、無秩序な利益追求ではなく、平和な分かち合いの土台です。


★今週のテーマ 「立ち止まって、目を留める」

8月13日(月) ミカ書4章4節

      人はそれぞれ自分のぶどうの木の下 いちじくの木の下に座り 脅かすものは何もないと 万軍の主の口が語られた。

        木の下で食事することは家族の団らんです。平和とは、そのような時間を大切にできることです。


8月14日(火) 創世記7章 1節

     主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。」

        神さまを信じる一人ひとりは神の家族です。それぞれが神さまの目に留まって集められました。

8月15日(水) 詩編122編7節

      あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように。

        それぞれの家のうちに平和がありますように。一人ひとりのうちに平和の計画がありますように。

8月16日(木) マルコによる福音書10章51節

    イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。

        神さまに出会う前には見えないものが多くありました。でも、感謝する気持ちとともに与えられたものに気付きました。

8月17日(金)ガラテヤの信徒への手紙6章10節

     ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。 

        友だちの友だちは、友だちになります。親しき輪を内にも外にも広げて行きましょう。

8月18日(土) ルカによる福音書1章25節

      「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

        この小さな私にも目を留めて下さった神さまは、私がより小さな者に目を留めることをも望んでおられるのでしょう。


★今週のテーマ 「大きな戦争、小さな戦争」
※8月5日は平和聖日でした。8月は平和月間です。


8月6日(月) 詩編37編37節

      無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。

        キング牧師の没後50年目になりました。彼は大きな悪として差別、貧困、軍国主義と闘いました。そのおかげで、今があるのです。


8月7日(火) 詩編68編6節

     神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり やもめの訴えを取り上げてくださる。

        戦争は弱い者を悪としてしまいます。弱い者を守る正義から、強い者を守る不義に塗り替えられるからです。

8月8日(水) イザヤ書38章17節

      見よ、わたしの受けた苦痛は 平和のためにほかならない。

        平和を求める声は暴力によって奪われます。しかし、その熱意は他の人々に受け継がれていきます。

8月9日(木) マルコによる福音書10章14節

    「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 」

        平和とは子どもたちが中心である世界。安心して育つ世界です。

8月10日(金)ローマの信徒への手紙8章17節

     もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。 

        しつけは文化の継承だと聞きました。すべてが受け継がれていきます。争いも、平和も。

8月11日(土) ルカによる福音書24章36節

      こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

        あいさつができる関係こそ、平和の土台です。あいさつの声は小さくても、相手の心に大きく響くのです。