聖句配信  毎日「神」聞 (4月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです


おはようございます。
★今週のテーマ 「つながって、労わって」


4月30日(月) 詩編52編10節

      わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。

        私たちは神の庭に植えられた木のようです。太陽と雨によって育てられ、花と実を付けることを期待されています。


5月1日(火) 箴言17章17節

      どのようなときにも、友を愛すれば 苦難のときの兄弟が生まれる。

        十字架は苦難の象徴です。そして、苦難は人と人をつなげる時にもなります。

5月2日(水) 詩編133編1節

      見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

        一緒にいることは喜びです。神様によって私たちはつながっています。

5月3日(木) ヨハネによる福音書15章5節

     わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

        私たちは大きなことは出来ません。小さなことに、大きな愛を持って行いなさい。(マザー・テレサ) 

5月4日(金)マタイによる福音書10章6節

      むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。 

        楽しいところだけでなく、寂しいところにも行きましょう。そこで、大きな喜びを発見するはずです。

5月5日(土) ガラテヤの信徒への手紙6章10節

      ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。 

        遠い将来を思って憂うこともありますが、今、生きていることに感謝します。


★今週のテーマ 「アイ、哀、愛」


4月23日(月) マタイによる福音書11章28節

      疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

        一週間の疲れを神さまにお任せして、元気にこの週も歩みたいものです。


4月24日(火) コリントの信徒への手紙一3章6節

      わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

        進んでいるように見えなくても大丈夫です。最後にカメがウサギに勝ったように、神様が時を与えて下さいます。

4月25日(水)「アイ・哀・愛」マタイによる福音書25章40節

      そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

        小さな者に心を配ることは神様の願いです。小さな者の内に神様はおられるからです。

4月26日(木) 列王記上3章26節

     生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言った。しかし、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言った。

        相手の相談を聞きながらも先回りして答えを出そうとしますが、人は自分で答えを見つけないと進めないのです。 

4月27日(金)使徒言行録20章35節

      『受けるよりは与える方が幸いである』 

        昔習った国語の先生が言っておられました。「受」が「愛」に変わるには、受けるだけではいけないのだと。

4月28日(土) ヨハネの手紙一4章18節

      愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。 

        この人のためにと思えば何も怖くありません。また、一人でも、自分を大切にしてくれる人がいれば、人は生きて行くことが出来ます。


★今週のテーマ 「囲いの外に目を向けて」

4月16日(月) 詩編23編1節

      主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

        わたしには欠けた部分が多くあります。その欠けた部分に神様の恵みが注がれます。


4月17日(火) エゼキエル書34章12節

      牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。

        夕暮れになると家に帰るように、神様は私たちが帰ってくるのを待っています。

4月18日(水)ゼカリヤ書11章7節

      わたしは二本の杖を手にして、ひとつを「好意」と名付け、もうひとつを「一致」と名付けて羊を飼った。

        聖書の言葉は支えてくれます。寂しさを感じる時に「好意」を与え、混乱する時に「一致」する心を下さいます。

4月19日(木) マタイによる福音書9章36節

     また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

        今日も天から見ている方がいます。私を覚え、私を守ろうとするやさしい目が。 

4月20日(金)ヨハネによる福音書10章16節

      わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 

        私たちは「囲い」という線引きされた世界に生きています。しかし、その線を引くのも人間です。キリストの声がその囲いの外から聞こえます。

4月21日(土) コリントの信徒への手紙一10章17節

      パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。 

        人口が多くいるほどに孤独を感じる社会だからこそ、世界に生きる命は1つのパンを分け合う1つの共同体だと知ることが必要です。

★今週のテーマ 「同じ痛みを知っている」

4月9日(月) イザヤ書53章4節

      彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

        彼とはイエス・キリストです。私たちは大切なものを失いましたが、それには意味があり、また、復活によって再会する希望を持っています。


4月10日(火) 詩編22編25節

      主は貧しい人の苦しみを 決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく 助けを求める叫びを聞いてくださいます。

        私たちは互いに祈り合います。苦しみを安堵に、悲しみを生きる力に、痛みを希望に変えるために。

4月11日(水)ホセア書5章15節

      わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め 苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで。

        神様はご自分を探すように願っています。光の中に、闇の中に、すべての出来事の中に神様の足跡があります。

4月12日(木) ヨハネによる福音書20章19節

     その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

        鍵をかけた家とは心を閉じた状態のことです。隠した痛みをそれぞれが持っています。それを十字架の前に置いていきましょう。 

4月13日(金)コリントの信徒への手紙一14章25節

      心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。 

        私たちは「答え」を神様に求めています。でも、「答え」はすでに与えられています。

4月14日(土) ローマの信徒への手紙15章5節

      忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ 声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。 

        私たちは同じ痛みを背負っています。十字架は人と人をつなぎ、孤独の痛みを和らげます。


★今週のテーマ 「先に行って 待っている」


4月2日(月) 箴言8章22節

      主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。

        新しい朝、新しい一日、新しい私。キリストの復活は命に新鮮さを取り戻すことを求めています。
※4月1日はイースター、キリストの復活を祝う日でした 。


4月3日(火) イザヤ書65章24節

      彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え まだ語りかけている間に、聞き届ける。

        神様は私たちの思いを知っておられます。悩みの先に希望を用意して待っておられます。

4月4日(水)マルコによる福音書16章7節

      さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

        私たちが立ち止まっているところより先で、神様は待っておられます。必ず進めると信じて。

4月5日(木) ヨハネによる福音書14章3節

     行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

        十字架によってキリストは先に天へと行かれました。私たちを迎える準備として。 

4月6日(金)コロサイの信徒への手紙1章17節

      御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。 

        キリストは最も深く神の愛を受け、また、最も深く神の鞭を受けられました。それは、わたしたちのためでした。

4月7日(土) コリントの信徒への手紙一2章9節

      「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。 

        思わぬ形で希望が待っています。神様が一人ひとりに準備して下さっています。