聖句配信  毎日「神」聞 (11月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです


★今週のテーマ 「新しい掟!」
※特別伝道集会の講師、陣内先生の歌詞をもとにコメントしています。

11月26日(月) 詩編40編4節

     わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への賛美を授けてくださった。

        空を見上げて祈った数だけ、強くなれる。ただ、ひたむきに生きる力が与えられる。


11月27日(火) 出エジプト記32章18節

     モーセは言った。「これは勝利の叫び声でも 敗戦の叫び声でもない。わたしが聞くのは歌をうたう声だ。」

        右手に掲げた強さと、左手に掲げた優しさ。勝ち組でもなく、負け組でもなく、私らしく生きたい。

11月28日(水) 歴代誌下20章21節

     主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」

        気持ちが前に向かない時も、賛美の歌が私を動かす。賛美は神さまへの第一歩なのです。

11月29日(木) ヨハネによる福音書13章34節

    あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。

        愛することは新しいことではありません。新鮮さを持ち続けることを求めているのでしょう。

11月30日(金)使徒言行録27章40節

     そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。

        ひとりではきっと乗り越えられない時も、「そばにいるよ」と神様に言われている気がして、心の帆に勇気の風が吹く。

12月1日(土) マタイによる福音書28章10節

      イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

        夜をこえる度に、悲しみこえる度に、きっととどこかに新しい出会いの朝がある。


★今週のテーマ 「さぁ、おいで」

11月19日(月) 詩編131編2節

     わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように 母の胸にいる幼子のようにします。

        祈る心が一人ひとりにありますように。祈る時、私たちは神さまに抱かれている安心が与えられます。


11月20日(火) サムエル記上3章10節

     主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

        神さま、子どもたちに呼びかけて下さい。正しいことを選び取るために。

11月21日(水) サムエル記上17章37節

     ダビデは更に言った。「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」サウルはダビデに言った。「行くがよい。主がお前と共におられるように。」。

        勇気がありますように。誘惑は強く、悪は大きいです。でも、勇気がありますように。

11月22日(木) マルコによる福音書10章15節

    はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。

        子どもたちから、いつも、学んでいます。打算的であってはならないし、自分をごまかしてはならないと。

11月23日(金)ヨハネによる福音書6章9節

     「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

        神さまは、その小さな思いを知っておられます。その小さな行いを奇跡に変えてくださいます。

11月23日(土) 2:コリントの信徒への手紙一3章7節

      ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

        伝えることも、正すことも必要です。何よりも、信じてあげることが人を育てるのでしょう。


★今週のテーマ 「耳をすませて」

11月12日(月) 詩編29編3節

     主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。

        耳をすませてみれば、大きな轟きの中に、静かな川の流れの中に、小さな私の心に神の声が聞こえてきます。


11月13日(火) 創世記3章9節

     主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」。

        神さまは呼んでおられます。叱るためでしょうか、いいえ、そうではないと思います。

11月14日(水) イザヤ書40章4節

     谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

        この社会にも山や谷があります。でも、神さまの前では誇る人も、引け目を感じる人もいなくなります。すべてが地平線のように、同じ目線で生きるからです。

11月15日(木) ルカによる福音書3章4節

    これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』

        時々、足を止めて振り返ります。神さまの方へ向かって真っすぐだっただろうかと。

11月16日(金)使徒言行録7章36節

     この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。

        苦しい時は神に向かって叫びます。しかし、落ち着いて静かになると、必要なことが分かるのです。

11月17日(土) ローマの信徒への手紙10章17節

      実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

        祈る時に色々お願いごとが出てきて、邪魔をします。祈るとは聞くことなのに。


★今週のテーマ 「終えるという希望」

11月5日(月) 詩編143編10節

     あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって安らかな地に導いてください。

        太陽の光を受けた雲の向こうに、愛する人々が安らかに過ごしている、それが慰めです。


11月6日(火) 列王記下2章11節

     見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。

        エリヤのように死の恐れもなく、天国へ行けたらいいと思います。しかし、キリストは十字架によって、死ぬという大切な仕事を教えてくださいました。

11月7日(水) コヘレトの言葉7章8節

     事の終りは始めにまさる。

        命の終わりは、命の初めにまさる。死ぬという希望がある。

11月8日(木) ルカによる福音書11章35節

    だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。

        いつも、希望があるかを確かめてください。見えないモノだからこそ。

11月9日(金)フィリピの信徒への手紙1章21節

     わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

        一人で生きて、一人で死ぬのではありません。命に囲まれて生まれ、命に囲まれて死ぬのです。

11月10日(土) ヨハネによる福音書19章30節

      イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

        何事も完成しないものに意味はありません。命は死によって完成します。これも、神さまの御業なのです。