聖句配信 毎日「神」聞 (1月)
※は森嶋牧師のコメントです
★ 今週のテーマ 「成熟の時まで」
1月29日(月) 詩編5編9節
主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。
神さま、人生のいついかなる時でも、人としての成熟を求めて歩むことが出来ますように導いてください。
1月30日(火) 詩編94編19節
わたしの胸が思い煩いに占められたとき あなたの慰めが わたしの魂の楽しみとなりました。
昨日に宮田姉が永眠されました。教会堂の席は1つ減りましたが、神の国に席が1つ増えたことを慰めにしたいと思います。
1月31日(水) 創世記25章27節
二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。
同じ兄弟ですら成長すると違う良さが出来ています。私たちの内面もまた、出会いと別れの中で様々に成長します。
2月1日(木) マルコによる福音書4章8節
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。
種は聖書の言葉を意味しますが、聖書を受け入れるのに知識や努力は必要なく、ただ、自分のこととして受け入れる時に成長します。
2月2日(金)ヨハネによる福音書12章24節
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
成熟する過程の中で「死」の意味は重要です。悲しみだけでなく、喪失だけでない。立ち上がる力を与え、失った以上のものを教えるのです。
2月3日(土) エフェソの信徒への手紙4章13節
わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
成熟とは個人のことだけでなく、1つの集まりとして考えも心も1つになることです。互いに育て合う関係のことです。
★ 今週のテーマ 「神さまの手をにぎって」
1月22日(月) イザヤ書49章8節
主はこう言われる。わたしは恵みの時にあなたに答え 救いの日にあなたを助けた。
今日こそ、恵みの時。今日こそ、救いの日。この一日を神様に感謝します。
1月23日(火) 詩編80編18節
御手があなたの右に立つ人の上にあり 御自分のために強められた 人の子の上にありますように。
私たちの上に神様の御手が働いています。自分一人の力では出来ないことを知るために。
1月24日(水) エゼキエル書3章14節
わたしは苦々しく、怒りに燃える心をもって出て行ったが、主の御手がわたしを強く捕らえていた。
私たちが祈ること以上に神様は理解して下さっています。落ち込まないようにその手をにぎってくださいます。
1月25日(木) マルコによる福音書1章15節
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
私たちが苦しんできた道のりに神様もおられました。遠くで見ていたのではなく、近くで共に泣いていたのです。
1月26日(金)コリントの信徒への手紙二1章5節
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
神様と共に生きるなかで、弱さは強さに、貧しさは豊かさに、苦しみは慰めになります。
1月27日(土) ペトロの手紙二3章9節
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
神様は一人でも多く救われるために忍耐しておられます。その忍耐が私にも与えられますように。
★ 今週のテーマ 「洗礼の体験」
1月15日(月) 詩編19編13節
知らずに犯した過ち、隠れた罪から どうかわたしを清めてください。
洗礼による清めは、私たちが知っていることだけでなく、知らずに行った過ちをも、神によって清める力があるのです。
1月16日(火) 箴言21章8節
歩む道が曲がったりそれたりしていても 清く正しい行いをする人がある。
曲がった道でも目をつぶって進んで行く人もいます。しかし、わずかでも、まっすぐに生きる人もいます。
1月17日(水) 列王記下5章14節
ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
清められるとは幼子のようになること。幼子のように自分が小さいことを知ること。
1月18日(木) マルコによる福音書1章11節
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
なぜ、神様は私を選んだのか。そう思ってはいけません。神様は確かにあなたに御声をかけられたのです。
1月19日(金)ローマの信徒への手紙6章4節
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
洗礼は1つの体験です。愚かな自分が死に、新しい自分に生きるという。
1月20日(土) 使徒言行録22章16節
今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』
何もためらうことも、思い返すこともありません。洗礼にふさわしいか、今も清いかなどと。もう、イエスの名をその命に受けているのです。
★ 今週のテーマ 「新しい年、新しい言葉」
1月8日(月) 詩編14編2節
主は天から人の子らを見渡し、探される 目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
新しい年になりましたが、忙しさに息も上がります。神さまは力になる言葉を与えようと今も天から見ておられます。
1月9日(火) イザヤ書 34章16節
主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。
数多くの信じる者たちが読んだ聖書です。必ず、今の私に答えるものがあります。
1月10日(水) エゼキエル書34章16節
わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。
求めれば与えられます。考えれば答えが出ます。神さまは語り合いの時を待っています。
1月11日(木) ルカによる福音書2章49節
すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
コマは芯がずれると回りません。日々の生活がまわらない時、私たちの心も聖書からずれていないか心配になります。
1月12日(金)コリントの信徒への手紙二4章6節
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
聖書は光です。日常にある出来事を照らします。私たちに新しい見方を与えます。
1月13日(土) ヤコブの手紙1章5節
あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
聖書には生きる知恵がつまっています。そこから1つでも与えられるよう祈っています。
★ 今週のテーマ 「新年を導く星」
1月1日(月) マタイによる福音書2章2節
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
東方の学者たちは暗い夜、空を仰いで星を見つけました。私たちの上にも導く星が輝いています。
1月2日(火) フィリピの信徒への手紙2章15~16節
よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 命の言葉をしっかり保つでしょう。
昨年も多くの過ちが起こり、曲がった時代に生きています。それでも、人を活かす言葉があると信じる一年にしたいです。
1月3日(水) エゼキエル書36章26節
わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
新しい年になりましたが、何も変わっていないように思えます。新しい心が与えられるように祈ります。
1月4日(木) ヨブ記8章7節
過去のあなたは小さなものであったが 未来のあなたは非常に大きくなるであろう。
私たちは成長します。過ちを成功に、痛みを慰めに、そして、罪を赦しに変えて生きていきます。
1月5日(金)イザヤ書55章7節
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かに赦してくださる。
今年は戌年です。戌は必ず主人のもとに帰ることができます。神様のもとに立ち帰る一年になりますように。
1月6日(土) ヨハネの黙示録22章12〜13節
わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
祈りに始まり、祈りに終わる。み言葉に始まり、み言葉に終わる。賛美で始まり、賛美で終わる。どうぞ、この一年がみ心にかないますように。
今年も過ぎていきます。やり残したこともありましたが、全てを神様の御手に任せて、ただ、感謝します。