聖句配信 毎日「神」聞 (9月)
※は森嶋牧師のコメントです
★ 今週のテーマ 「祈りの手になって」
※9月24日は敬老祝福合同礼拝でした。
9月25日(月) 詩編42編9節
昼、主は命じて慈しみをわたしに送り 夜、主の歌がわたしと共にある わたしの命の神への祈りが。
朝の祈り、夜の祈りが日々を支えています。その積み重ねが生涯の土台になります。
9月26日(火) 詩編71編18節
わたしが老いて白髪になっても 神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。
最後には手を合わせることしかできないかもしれません。でも、祈りの手になって、伝えられることがあります。
9月27日(水) イザヤ書46章4節
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
自分一人で生きてきたと思っていたその時に、神様に支えられて二人三脚で歩んだことを知ります。
9月28日(木) マタイによる福音書6章6節
だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
私たちは見えない祈りによって結ばれています。顔を思い浮かべ、そっと、祈ることばが神の手を動かすのです。
9月29日(金)ローマの信徒への手紙12章14節
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
呪いながら生きるより、祈りながら生きる方が楽だと思います。誰かの祝福を願う心をいつまでも持ちたいと思います。
9月30日(土) コリントの信徒への手紙二1章11節
あなたがたも祈りで援助してください。
見えるものはなくなります。しかし、見えないものはずっとあります。今日も、祈りの援助を送りましょう。
★ 今週のテーマ 「隣りの祈り」
9月17日は岡山の玉野教会と講壇交換を行いました。今週は玉野教会の歴史に学びたいと思います。
9月18日(月) 詩編107編29節
主は嵐に働きかけて沈黙させられたので 波はおさまった。
台風18号が日本列島に傷跡を残しました。どうぞ、被害に遭われた方々に今日1日の平安がありますように。
9月19日(火) イザヤ書30章15節
お前たちは、立ち帰って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ 力がある。
今年の玉野教会の年間聖句です。自分に力がないことを嘆くのではなく、頼る生き方ができると思うことに、人生の上達があるのでしょう。
9月20日(水) レビ記22章32節
あなたたちは聖なるわたしの名を汚してはならない。わたしはイスラエルの人々のうちにあって聖別されたものである。わたしはあなたたちを聖別する主である。
玉野教会はホーリネス教団の1つです。忙しい毎日から逃れるために祈りの時間を中心として清められる生活を求めたのでした。
9月21日(木) マタイによる福音書5章10節
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
玉野教会はホーリネス教団の1つとして、戦時中は迫害を受け、一度、教会も解散させられました。しかし、教会は復活しました。
9月22日(金)ローマの信徒への手紙12章12節
希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
戦後の玉野教会は、疲れた人々の癒しを願って生きる希望として神様の言葉を伝えることから始まりました。
9月23日(土) コロサイの信徒への手紙3章16節
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
今年も教会同士の出会いに感謝します。互いを知ることは自分の知ることであり、耳を傾けることは成長を促します。
★ 今週のテーマ 「天国の代金」
9月11日(月) 詩編65編5節
いかに幸いなことでしょう あなたに選ばれ、近づけられ あなたの庭に宿る人は。
私たちにも良い部分も悪い部分あります。でも、それらを合せても、人間を造って良かったと神様は言ってくださいます今日、あなたも神様に選ばれて生きる者となり、神の庭に咲く花のように恵みを受けています。
9月12日(火) 申命記7章7節
主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
ふさわしいから選ばれたのではなく、ふさわしくないけれど、用いられているのです。気負うことはないのです。
9月13日(水) イザヤ書43章4節
わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。
命の価値は長さにあるのではないのでしょう。どれほど、大切にされたかなのかと思います。
9月14日(木) マタイによる福音書13章46節
高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
私に何の価値があるのだろうか。その言葉に十字架は答え続けます。命までも捨てて助ける価値があるのだと。
9月15日(金)ヤコブの手紙2章5節
神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。
天国の代金を支払う必要がありません。十字架が支払いになったからです。ただ、それを信じればいいのです。
9月16日(土) ヨハネによる福音書3章16節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神の愛を信じること。それが天国への入り口です。輝く門が開き、この私をも招いていることを信じ続けるのです。
★ 今週のテーマ 「心の畑にできるもの」
9月4日(月) 創世記1章31節
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
私たちにも良い部分も悪い部分あります。でも、それらを合せても、人間を造って良かったと神様は言ってくださいます。
9月5日(火) 箴言10章12節
憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。
お互いの悪い部分が見えるからこそ、ゆるすことを聖書は教えてくれるのです。
9月6日(水) コヘレトの言葉3章17節
わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。
私たちがもつ「ものさし」は小さなものです。すべては神様がお決めになることです。
9月7日(木) マタイによる福音書22章10節
そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
神の国には善人も悪人も呼ばれるというのです。どのような人をも抱きしめたいという気持ちが神さまにあるのでしょう。
9月8日(金)ルカによる福音書6章35節
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
私たちの信じる神様は「ゆるす神」です。ゆるされた時、私たちの中に何かが生まれるのです。
9月9日(土) テサロニケの信徒への手紙一5章15節
だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
悪だと言って引き抜こうとする社会は正しいのでしょうか。その先には、お互いを引っ張り合う不自由な世界しかないように思います。