聖句配信  毎日「神」聞 (8月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 『「ぶどうの木」につながって』
※8月27日は信徒の北尾美津子姉がお話をされました。

8月28日(月) サムエル記下23章2節

      主の霊はわたしのうちに語り 主の言葉はわたしの舌の上にある。

        私たちは一人一人、神様の恵みを語る、「語り人」です。その時、何を話すかを神さまが教えてくださいます。


8月29日(火) 箴言18章24節

      友の振りをする友もあり 兄弟よりも愛し、親密になる人もある。

        多くの友がいますが、信仰について語る友は少ないでしょう。私たちはその信仰の友だちなのです。

8月30日(水) ヨハネによる福音書15章5節

      わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

        私たちのつながりは見えないものです。しかし、見えないからこそ強いのです。

8月31日(木) ルカによる福音書15章4節

      「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。

        一人の友が道を見失ったら、探しに行く。神様、その勇気を与えて下さい。 

9月1日(金)ルカによる福音書15章9節

      そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 

        一緒にいることは喜びです。神様、不安と敵意を取り除いてください。

9月2日(土) ルカによる福音書15章24節

      この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 

        教会は大きな「ぶどうの木」です。そこから離れる人のために祈り、戻ってくる人を喜んで迎えます。このつながりを大切にしたいですね。

★ 今週のテーマ 「蛇の知恵、鳩の従順」

8月21日(月) マタイによる福音書10章16節

      「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。 」

        神への信仰が、時に戦争に利用されることがあります。だからこそ、従う心と考える頭は同時に働かせる必要があるのです。


8月22日(火) イザヤ書56章10節

      見張りはだれも、見る力がなく、何も知らない。口を閉ざされた犬で、ほえることができない。伏してうたたねし、眠ることを愛する。

        戦時中、キリスト教は眠っていました。2度とそうならないように、私たちが「見張り」の役として平和を守らなければなりません。

8月23日(水) イザヤ書2章4節

      主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。

        今は、鋤(すき)を打ち直して剣を作る時代になりつつあります。筆は剣よりも強いはずです。神様、私たちの心を打ち直し、語る勇気を与えて下さい。。

8月24日(木) アモス書4章13節

      見よ、神は山々を造り 風を創造し その計画を人に告げ 暗闇を変えて曙とし 地の聖なる高台を踏み越えられる。その御名は万軍の神なる主。

        神様は戦争をも計画された。人の罪を明らかにし、その罪を土台にして平和を考えるためである。痛みによって学ぶために。 

8月25日(金)エフェソの信徒への手紙3章9節

      すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。。 

        ある神学者は言いました。神様の計画を知ることはできない。神様の計画を信じるとは冒険そのものだ。そう、悔い改めを体験する冒険なのだ。

8月26日(土) ローマの信徒への手紙5章19節

      一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 

        愚かな人間の罪にもかかわらず、神様はそれを逆用して奇跡を行われる。私たちはその証人なのです。

★ 今週のテーマ 「平和と家族」

8月14日(月) ミカ書4章4節

      人はそれぞれ自分のぶどうの木の下 いちじくの木の下に座り 脅かすものは何もないと 万軍の主の口が語られた。

        預言者ミカは考えました。平和とは、庭の木の下で家族のだんらんがあることだと。


8月15日(火) 詩編107編41節

      乏しい人はその貧苦から高く上げ 羊の群れのような大家族とされた。

        平和学者はいいました。真の平和とは、貧困、抑圧、環境破壊などの暴力がない状態だと。つまり、世界家族と言う意識なのでしょう。
※平和学者ヨハン・ガルトゥングの言葉です。

8月16日(水) サムエル記上25章6節

      次のように言うがよい。『あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。』

        大きな平和、小さな平和。平和の祈りは理想を、理想は運動を、運動は友を生み出します。

8月17日(木) マタイによる福音書10章12節

      その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。

        平最も身近な人にこそ、平和を語ることが難しいのかもしれません。そんな私を神さまが変えてくださるように。 

8月18日(金)マタイによる福音書10章34節

      「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 

        日本の平和は沖縄の犠牲の上にあります。基地という荷物を沖縄が背負っているのです。国だけでなく、社会にも、学校にも、家庭にも犠牲による平和、偽りの平和があるのです。

8月19日(土) テサロニケの信徒への手紙一5章3節

      人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。 

        平和だ、安全だという言葉を信じたい気持ちはあります。平和は緊張感だと思います。相手への配慮と和解への努力が常に必要なのだと思います。


★ 今週のテーマ 「告白から50年」
※8月6日は平和聖日、今年は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」から50年目になります。

8月7日(月) 詩編85編9節

      主は平和を宣言されます 御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に 彼らが愚かなふるまいに戻らないように。

        戦争において日本は被害者であったと同時に、加害者でした。アジアへ侵略戦争をくり広げた「愚かなふるまい」を忘れてはなりません。


8月8日(火) 創世記33章3節

      ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。

        双子の兄弟であっても7度の謝罪が必要でした。しかし、ごめんなさいという気持ちが一歩ずつ相手に近づくことを信じたいです。

8月9日(水) イザヤ書62章6節

      わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ 決して沈黙してはならない。

        あの戦争が起きた時、教会は平和の「見張り」としての役目を果たすことができませんでした。だからこそ、今、私たちは沈黙してはならないのです。

8月10日(木) マタイによる福音書5章9節

      平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

        平和の最大の敵は無関心です。知ること、考えること、そして、やってみること。神様の喜ばれる平和のために。 

8月11日(金)フィリピの信徒への手紙4章6~7節

      何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。 

        ある留学生が大切にしている言葉です。彼は日本が大好きだと言ってくれました。私もあの時、あの場所にいたら戦争を止められなかった。その告白を常に胸に置いています。

8月12日(土) コリントの信徒への手紙二7章10節

      神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。 

        歴史を支配される神さまの計画は理解できません。しかし、悲しみは悔い改めを、悔い改めは告白を、告白は和解を生み出すと信じています。