聖句配信 毎日「神」聞 (11月)
※は森嶋牧師のコメントです
申し訳ありませんが、担当者の都合により、次週の聖句の掲載が少し遅れます。
★ 今週のテーマ 「あなたに欠けているもの」
11月27日(月) 詩編34編10節
主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
私たちの欠けている部分に、神様が助けを送って下さいます。
11月28日(火) コヘレトの言葉5章11節
働く者の眠りは快い 満腹していても、飢えていても。金持ちは食べ飽きていて眠れない。
多くを持っているということよりも、生きる意味によって人は満ち足りるのでしょう。
11月29日(水) イザヤ書58章10節
飢えている人に心を配り 苦しめられている人の願いを満たすなら あなたの光は、闇の中に輝き出で あなたを包む闇は、真昼のようになる。
自分に欠けているものを満たそうとするよりも、誰かの不足を補う方が満足に近づくのかもしれない。
11月30日(木) マルコによる福音書10章21節
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。」
こう言われると不安になります。でも、大切なのは自分にも欠けている部分があると知っていることです。
12月1日(金)テサロニケの信徒への手紙一5章23節
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。
体の欲求を満たすとともに、霊と魂が求めている救いに向かって進んで行きたいと思います。
12月2日(土) ヤコブの手紙1章5節
あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
欠けている部分があるのは神様に祈るためです。最も必要なものを知るためです。
★ 今週のテーマ 「実りの神さま」
11月13日(月) 詩編85編13節
主は必ず良いものをお与えになり わたしたちの地は実りをもたらします。
恵みとはどのようなものをも感謝の中で受け取り、自分の肥やしにしていくことなのでしょう。
11月14日(火) 申命記26章2節
あなたの神、主が与えられる土地から取れるあらゆる地の実りの初物を取って籠に入れ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所に行きなさい。
喜びを一番に神様に報告する。誰よりも喜んで下さる神様の姿を浮かべます。
11月15日(水) イザヤ書57章19節
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。
私たちの実りとは平和であることです。遠くにも、近くにも、平和がありますように。
11月16日(木) ヨハネによる福音書4章38節
あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。
私たちは知らずと大きなものを受け取っているのかもしれません。そう思うと、生きることは感謝です。
11月17日(金)使徒言行録14章17節
恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。
「施して」には2つの意味があります。神様が私たちに与えること、そして、私たちが誰かに分け与えること。
11月18日(土) ヤコブの手紙5章7節
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。
忍耐の上に恵みが与えられると言います。どうぞ、この小さな草木のような私が嵐を乗り越えて豊かに成長できますように。
★ 今週のテーマ 「面影の残る空」
※11月5日は召天者記念礼拝でした。
11月6日(月) 詩編143編10節
あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって 安らかな地に導いてください。
あの大切な人も、今は神の国で安らかである。その思いが生きる土台になる。
11月7日(火) ルツ記2章13節
ルツは言った。「わたしの主よ。どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」
ルツは主人も、息子たちも失いました。それでも、信じる生き方を失いませんでした。
11月8日(水) ヨブ記5章26節
麦が実って収穫されるように あなたは天寿を全うして墓に入ることだろう。
人はそれぞれ、その働きに応じて「収穫の時」があるようです。この世での働きを終えて天の倉に納められるのです。
11月9日(木) コリントの信徒への手紙二5章1節
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
命には行き先があります。どこかに消えゆくのではなく、命の故郷、神に国へと帰っていくのです。
11月10日(金)テサロニケの信徒への手紙一4章14節
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
復活は希望です。もう一度、あの姿に会うことができるという希望です。死が近づくほど、強くなる希望です。
11月11日(土) エフェソの信徒への手紙3章18~19節
キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
私たちは故人を通してキリストの愛を知りました。思い出す度に、その愛の広さ、長さ、高さ、深さを私たちに伝えてくれます。