聖句配信  毎日「神」聞 (9月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「人生の四季」

9月26日(月) コヘレトの言葉12章1節


      青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と 言う年齢にならないうちに。

          人生の春は、希望をもってまっすぐに神に向かっていた時。疑うことを知らなかった頃を思い出す。


9月27日(火) 箴言6章8節

        夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。

          人生の夏は、元気に動き回った時。人のために、神のために、自分にできることがあると信じていた。

9月28日(水) ヤコブの手紙5章7節

        兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。

          人生の秋は、価値観が変わる時。紅葉するように、物事の受け取り方が変わり、生き方が変わる。

9月29日(木) マタイによる福音書11章28節

        疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

          人生の秋は、冬への準備の時。余計なものをそぎおとし、ただ、自分にとって必要なものを見つける。

9月30日(金) コリントの信徒への手紙一13章12節

       わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。 

          人生の冬がやってくる。全てのものが色あせたように見える。だが、神さまを思う気持ちだけは、これまで以上に強くなる。顔と顔を合わせるかのように。

10月1日(土)ヨハネによる福音書11章4節

      イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

      冬の先に、死の先に何があるのか。また、春がやってくる。人生の冬に、復活という希望をいだくこと。それこそ、人生の四季に与えられた課題。

★ 今週のテーマ 「神さまのなさること」

9月19日(月) 詩編40編6節


      わたしの神、主よ あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを わたしは語り伝えて行きます。

          良いことも、悪いことも、神様の御心だと知ると、すべてがつながって完成する時が来ることを信じられる。


9月20日(火) コヘレトの言葉3章11節

        神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

          私たちの人生は全てを理解するには短すぎるのでしょう。だから、思いを託し、託されて進むのです。

9月21日(水) ヨブ記38章2節

        これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて 神の経綸を暗くするとは。

          つぶやき、ぼやき、やつあたり。神様にも言い分はあるだろうが、静かに聞いてくださる。

9月22日(木) ヨハネによる福音書12章24節

        はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

          神様のなさること。それは、犠牲をおしまないこと。命を産み出すこと。愛すること。

9月23日(金) エフェソの信徒への手紙2章10節

       なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。 

          信じることは、新しくつくられること。新しい気持ちと見方で、新しい関係を築くこと。


9月24日(土)ヨハネによる福音書15章5節

       わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

         私たちは神様とつながり、少しずつ変わって行く。貧しいものから、豊かなものへ。哀しむものから、喜ぶものへ。


★ 今週のテーマ 「羊の耳、ロバの耳」


9月12日(月) 詩編95編7節


      主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。

          私たちの栄養は、み言葉です。深呼吸と言わず、信仰呼吸として、いただきましょう。


9月13日(火) イザヤ書46章12節

        わたしに聞け、心のかたくなな者よ 恵みの業から遠く離れている者よ。

          思い通りにならない時、私は心を閉ざします。そのようなわがままをお赦しください。

9月14日(水) 詩編139編11節

        わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」

          閉ざされた闇が心地よいこともある。生きながらも、死んだふりだ。神様は、そんな私を知らないふりして、待っておられる。

9月15日(木) ヨハネによる福音書12章35節

        イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。」

          どこへ行くのか分からない。風に舞う木の葉のような弱さ。だからこそ、神の家はつながりを大切にする。

9月16日(金) コリントの信徒への手紙一10章17節

       パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。 

          考え方や生き方に違いがあったとしても、私たちは1つでありたいと願う。何も語らず、笑顔で受け入れる人になりたい。


9月17日(土)ヤコブの手紙2章5節

       わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

         私たちが受け継ぐものは信仰です。それを託されて生きるのです。教会には永遠に変わらない使命があるのです。


★ 今週のテーマ 「ひとり、ひとりの名をよんで」

9月5日(月) イザヤ書43章1節


      恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。

          ひとり ひとりの名を呼んで 愛してくださるイエスさま どんなにちいさな私でも覚えて下さるイエスさま。※こどもさんびか「ひとりひとりのなをよんで」一節を紹介しました。


9月6日(火) 出エジプト記3章3節

        モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」

          神様の求めておられる生き方は、一般的な「道をそれて」いる。神様の御前で足をとめ、どう生きるかを考える。

9月7日(水) サムエル記上3章10節

        主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

          私たちにも、日々、神様が声をかけておられる。それに気付かず、神様の声から離れていないだろうか。

9月8日(木) マタイによる福音書9章13節

        わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

          私は罪人です。その告白を聞いてくださるのは、ただ、神様だけです。

9月9日(金) ヨハネによる福音書10章3節

       門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 

          赤ちゃんは、母の声と共に、その顔とぬくもりを記憶します。私たちもみ言葉に、信仰の友とその愛を刻みます。


9月10日(土)ローマの信徒への手紙 10章17節

       実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

         聞くためには、まず、その口を閉じなければなりません。つぶやき、なげきをせき止めて、全身で神様の声を感じましょう。