聖句配信  毎日「神」聞 (7月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「血となり、肉となり」

7月25日(月) 詩編36編 10節


       命の泉はあなたにあり あなたの光に、わたしたちは光を見る。

          暑さの中で喉が渇くように、疲れの中で私は渇く。その私を神様のまなざしが優しくつつむ。


7月26日(火) 箴言12章 28節

        命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない。

          命はつながり合って生きることを知らない人もいる。あの人は自分だったかもしれないと思う時、ともに歩む道がひらく。

7月27日(水) ネヘミヤ記8章 10節

        「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」 

          この地球には十分な食べ物がある。神様が一人一人の分を用意している。分け与え、ともに喜ぶことが礼拝の意味なのだ。

7月28日(木) ヨハネによる福音書6章 51節

        わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。

          人間は食物連鎖の頂点にいる。キリストはその頂点から降りて、小さな命のように生きた。食べられる側、奪われる側にこそ、神の救いが生まれる。

7月29日(金) エフェソの信徒への手紙4章 28節

       盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。 

          神様に返さないのは、神様から盗んだことだと教わった。だからこそ、神様が愛される弱い人々に少しでもお返ししたい。


7月30日(土) 使徒言行録20章 35節

       主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。

          「子どもの貧困」がこの日本でもある。永遠の命とは、次の時代にも豊かさを約束するということだろう。キリストの体は一人一人に与えられたことを忘れてはならない。

★ 今週のテーマ 「祈りと労働」

7月18日(月) ガラテヤの信徒への手紙5章 6節


       キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

          修道院の合言葉「オーラ・エ・ラボーラ」とは、「祈りと労働」と言う意味である。この2つは車の両輪のように、いつも互いを支える。


7月19日(火) イザヤ書56章7節

        わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。

          祈りから始まる一日がある。忙しく繰り返される日々に、一瞬、振り返る時が与えられる。

7月20日(水) マタイによる福音書6章 7節

        また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 

          「心配事の9割は起こらない」と言った人がいた。そう、私たちは先を読みすぎて長い長いお願いを神さまにしてしまう。ただ、今を感謝することを忘れて。

7月21日(木) ルカによる福音書6章 12節

        そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。

          イエスさまは、活動の間に祈る時間を持っておられた。神さまと向き合う時間は、自分を取り戻す時間でもある。

7月22日(金) マタイによる福音書5章 16節

       そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。 

          祈りはひとりごとではない。何かを始めるために力をためる作業である。その時が来れば、祈りの力によって動き出すことができる。


7月23日(土) ガラテヤの信徒への手紙6章 9節

       たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。

          人は自分で蒔いた種を刈り取ることになります。いくら耕しても種がなければ意味がないように、労働の中に祈りの種を蒔きましょう。

★ 今週のテーマ 「髪の毛一本でさえ」

7月11日(月) 詩編121編 4節


       見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。

          夜、私たちが眠っている間も、神さまの目は注がれている。星空のように、あなたを見守っている。


7月12日(火) 詩編84編 12節

        主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え 良いものを拒もうとはなさいません。

          兵士が身を守る盾のごとく、神さまは私たちを守ってくださる。絶望の暗闇から、守って下さる。

7月13日(水) サムエル記下14章 11節

        「主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない。」 

          正しい人が、正しいことのゆえに抑圧される時代にあっても、その小さな犠牲を神さまは見過ごされない。

7月14日(木) マタイによる福音書10章 30-31節

        あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

          神さまは、私たちのことをすべてよく知っておられる。だからこそ、私たちは神様を良く知るべきである。神さまから、自分と言うものを知るために。

7月15日(金) 使徒言行録27章 34節

       だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。 

          私たちが失ったと思うものは、全て神様から受けたものです。だから、私たちが失うものは何もないのです。


7月16日(土) マタイによる福音書16章 24節

       それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 」

           私たちは非常に多くものを守らなければなりません。しかし、大切なのはこの身、魂のみなのです。それ以外のものはすてることになるのです。

★ 今週のテーマ 「さんびの守り」

7月4日(月) 出エジプト記15章 1節
15節

       モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し 馬と乗り手を海に投げ込まれた。

          モーセたちは敵に囲まれながらも賛美しました。すると、海が割れて逃げ道ができたのです。賛美は、逃げ場のない心に力を与えるのです。


7月5日(火) サムエル記上16章 23節

        神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

          サウルはイスラエル国の初代国王でした。そして、悩みもたくさんあったでしょう。見えない恐怖に包まれた時、賛美が彼のいやしになりました。

7月6日(水) ヨシュア記6章 9節

        武装兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、また後衛として神の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。 

          これは、戦いに向かう行軍の様子です。聖歌隊が一番前を進みました。自分が向き合わなければならない時、賛美は励ましになります。

7月7日(木) ルカによる福音書12章 6節

        五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。

          雀は最も価値のないささげものとして売られていました。でも、かわいい歌で歌うこの生き物を神さまは愛されました。

7月8日(金) 使徒言行録16章 25節

       真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。 

          パウロとシラスは見覚えのない罪で投獄されました。でも、牢屋の中で賛美しました。賛美はどのような時にも自由を与えます。


7月9日(土) ミカ書7章 18節

       あなたのような神がほかにあろうか 咎を除き、罪を赦される神が。

           あなたの苦しみが無になることはない。それは、誰かを励ます歌になる。生きる価値のない私でさえ、生かされる神に感謝する、と言う歌になる。