聖句配信 毎日「神」聞 (6月)
※は森嶋牧師のコメントです
★ 今週のテーマ 「君の名を知りたい」
6月27日(月) 創世記5章 29節 15節
彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。
混乱の時代に生まれたノアに託された思い。同時に、それは小さな命に期待するすべて両親の思いでもある。
6月28日(火) 創世記25章 26節
その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
ヤコブとはイヤな名前です。足を引っ張ると言う意味ですから。でも、みんな心のヤコブ病にかかっています。
6月29日(水) 創世記32章 29節
その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
自分の力で生きてきたヤコブ。彼にも限界が来ました。だから、神さまと共に、人生の二人三脚をする生き方に変わりました。
6月30日(木) ルカによる福音書8章 30節
イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。
世間には恐れられ、近寄りがたい人がいます。なぜそうなったのか。それは、だれもその人の友だちにならなかったからです。
7月1日(金) ルカによる福音書19章 5節
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
イエスさまが神の子と言われる理由の1つは、周りの偏見を越えて、その人をそのまま受け入れる勇気があったことです。
7月2日(土) マタイによる福音書9章 12節
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」
聖書は、言葉の処方箋。治療も、薬も与えることのできない希望を、その人に語らせます。
★ 今週のテーマ 「剣を鋤に、槍を鎌に」
6月13日(月) 詩編15編 1節 15節
主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるのでしょうか。
忙しい手をとめ、その手を合わせて祈ります。神さま、あなたが私に求めているのは、何でしょうか。
6月14日(火) マタイによる福音書6章 33節
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
神の国とは子どもの声が聞こえる場所。小さな存在をゆるす場所。私たちに必要なのは、そのような余裕であり、どれほど、他者を受け入れるかなのでしょう。
6月15日(水) ミカ書4章 3節
主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。
戦の道具も、平和の道具も、人間が作る物です。私たちの気持ちが道具を生むのです。私のとがった部分を、神さま、打ち直してください。
6月16日(木) マタイによる福音書 10章 16節
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」
ある哲学者が言いました。人間は争うのが普通だ。自分の言い分を伝える知恵と相手を受け入れる素直さをポケットに入れたいものです。
6月17日(金) ミカ書6章8節
人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。
誰かが正義を行うのを待つのではなく、誰かが慈しみを注ぐのを待つのではなく、神さまが自分の思い通りに歩いてくれるのを待つのではありません。
6月18日(土) マタイによる福音書5章 41節
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
へりくだって神と共に歩むとは、このようなことでしょう。一ミリオンまでは辛かったでしょうが、それを超えた辺りから見えない力が働いたのです。
※ミリオンとは長さの単位です。ここでは、歩く距離のことを言います。
★ 今週のテーマ 「栄枯盛衰」
6月6日(月) ヨハネによる福音書3章 30節 15節
あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。
※あの方とはキリストのことです。私たちは、衰えて、弱り果てる中で十字架の輝き、他者のために燃える命の光を見るのです。
6月7日(火) 詩編39編 6節
御覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも すべて空しいもの。
※私たちは、皆、衰えて最後には消えてゆきます。無に等しい存在でありながら、無になることを恐れています。
6月8日(水) ルカによる福音書18章 11節
ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 』
※私たちの心には小さな誇りがあります。私は栄え、他の人は衰えてほしい。その嫉妬によって過ちを犯します。
6月9日(木) コヘレトの言葉4章4節
人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。
※人は比べて生きている。自信をしっかりと握り、それを離そうとしない。だからこそ、神さまは老いを造られたのかもしれない。
6月10日(金) ペトロの手紙一1章 24節〜25節
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
※私たちが衰えていくのは、その中で何が真実かを知るためです。変わりつつある私の中で、なお、一層、力を与える神の言葉を。
6月11日(土) コリントの信徒への手紙二4章 16節
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
※時代が変わり、国家が変わり、栄枯盛衰を極める。しかし、その一瞬たりとも信仰は失われて来なかった。信仰にすべてを注ぐことは、新しい時代にそれを残すと言うこと。