聖句配信  毎日「神」聞 (5月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「第二の私へ」

5月30日(月) イザヤ書 42章 9節
15節

        見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前にわたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

          ※私たちは時間を恐れている。日々、古くなっていくように思う。しかし、私たちの中に新しいものことを起こそうと、神さまは準備しておられる。


5月31日(火) 詩編104編 030節

        あなたは御自分の息を送って彼らを創造し 地の面を新たにされる。

          神の息によって新しくなる。吸い込んだものを吐き出し、また、新しい息を与えられる。信仰とは呼吸のよう。私を吐き出し、新しい私を吸い込む。

6月1日(水) エゼキエル書36章 26節

        わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。

          ※体にコリがあり、気持ちにハリがある。緊張と疲れの中で、神さまは和らぎを与えられる。驚きと戸惑いの中で柔軟さを諭される。

6月2日(木) ヨハネによる福音書3章3節

        イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

          ※神の国に入るのは難しいと言う意味ではない。神の国は、私たちの考えの外にあると言うこと。私を捨て、私を打ち砕き、私を離れたところにある。。

6月3日(金) ヨハネによる福音書3章4節

       ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」

          ※変わることのできない弱さがある。自分で自分をどうにかすることはできない。でも、命を造られた神さまなら、私に足りない部品を知っている。


6月4日(土) ヨハネによる福音書19章 39節

       そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
          ※ニコデモは変わった。彼は光を手に入れた。変えることのできないことを受け入れ、変えることができることを変える勇気を持ち、その2つをしっかり見分ける知恵を持ったのだ。

★ 今週のテーマ 「三位一体」

5月23日(月) 創世記2章 18節
15節

      主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

          ※三位一体とは何を意味するのだろう。私たちの命を考えてみよう。母と父がいて私がいる。その結びつきを教えているのかもしれない。


5月24日(火) 箴言15章 33節

        主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜。

          父なる神、子であるキリスト、聖霊は互いに謙遜しながら調和を保っている。平和の姿を神様は示しておられる。

5月25日(水) 申命記19章 15節

        いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない。

          ※旧約聖書では、三者によって証言が認められた。三位一体とは、正義を与えるものとされていた。

5月26日(木) マタイによる福音書18章 20節

        二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

          ※新約聖書では、三者の中に希望が生まれた。三位一体とは慰めを与えるものに変わった。

5月27日(金) マタイによる福音書7章 26節

       わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。

          ※両親は言った。信仰とは、砂の上に杭を打ち込むようなもの。その杭を揺り動かしながら深く打ち込めと。まだ、揺れ動く愚かなわが信仰に、親を通して神の情けを感じる。


5月28日(土) コリントの信徒への手紙一10章 13節

       あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

          ※試練なら 数は知れんが 和(かず)だのみ  和(かず) 三浦和子夫人(愛唱かずちゃん)のことです。

522日には三浦先生が来られました。先生の愛唱聖句です。


★ 今週のテーマ 「ペンテコステ」
515日は聖霊降臨日でした。今週は聖霊に関する個所を見ていきます。


5月16日(月) 創世記2章7節
15節

      主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

          ※霊と言う言葉には、息と言う意味もありました。それは1つ1つに命を与えること、または、動き出す力を与えると言うことでした。


5月17日(火) イザヤ書40章 07節

        草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。

          霊には風と言う意味もありました。パレスチナの風はシロッコ(熱風)であり、命を奪い取り去る神様の力をも表していました。

5月18日(水) 詩編39編 3〜4節

        わたしは口を閉ざして沈黙し あまりに黙していたので苦しみがつのり 心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。

          ※ここには、沈黙の中から熱意が生まれて語りだす姿があります。聖霊の炎の源がここにあるように思います。苦しみが情熱に代わったのです。

5月19日(木) 使徒言行録2章2節

        突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

          ※初めて、聖霊を受けた時の記事です。弟子たちが隠れるようにして祈っていた時、自分たちの背中を押すような力を感じたのでした。

5月20日(金) ヨハネによる福音書15章 26節

       わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。

          ※真理とは何でしょうか。私はこう思います。社会では心理が話題になります。心理はその一瞬の気持ちです。でも、真理とは変わらないものです。人の一生に寄り添ってくださる変わらない存在です。


5月21日(土) ローマの信徒への手紙14章 17節

        神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。

          ※聖霊は簡単にいうならば、つなぎ目です。神と人と、人と人をつなぎます。出会いが生まれ、語る言葉が生まれ、喜びが生まれます。

★ 今週のテーマ 「目に見えないもの」

5月9日(月) 詩編103編 015節

      人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。

          ※命は、つぼみをふくらませ、咲きほこり、しぼんでいく。桜は散る時が美しいと言う。人も、その最後に輝きが残されている。


5月10日(火) ヨブ記37章 21節

        今、光は見えないが それは雲のかなたで輝いている。

          太陽は雲に隠されるように、心が悩みにおおわれる。でも、その雲の合間に光が差し込む。それで良しと言う声がする。

5月11日(水) 箴言21章 02節

        人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中を測られる。

          ※目には見えない部分を神様は見て下さる。礼拝は、心の点検。友は、自分を見る鏡。

5月12日(木) ヨハネによる福音書15章 05節

        わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

          ※一人でしようとすると、早くできます。二人でしようとすると時間がかかります。でも、三人ですると、長い時間が楽しみになります。

5月13日(金) 使徒言行録9章 18節

       すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。

          ※私たちは、細かなことは見えるのに、小さなことが見えないことがあります。神様、どうぞ、そのウロコを取り去って下さい 。


5月14日(土) ローマの信徒への手紙8章 25節

        わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

          ※忍耐していると、望んでいるものが来るのではなく、忍耐しているあなたが、神様の目に適うように変えられるのです。

★ 今週のテーマ 「人に負けても、自分に勝つ」

5月2日(月) 詩編33編 16節

      王の勝利は兵の数によらず 勇士を救うのも力の強さではない。

          ※何事にも勝つために必要なのは、数でも、力でもない。何を守っているかと言うことだろう。


5月3日(火) ゼファニヤ書3章 17節

        お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。

          勝負事は運とも言われます。神様の気持ち1つなのかもしれません。そして、誰にでもその時が与えられます。

5月4日(水) ゼカリヤ書9章9節

        見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る雌ろばの子であるろばに乗って。

          ※争わなければ勝ちを得られないと思いがちです。でも、ろばのように、ゆっくり、ゆったり、ゆずりながら進むなら、それも価値です。

5月5日(木) ヨハネによる福音書16章 33節

        あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。

          ※今、あなたは既に苦しみに勝っている。そう思うことは小さなことだが、大きな生き方を生む。

5月6日(金) マタイによる福音書 12章 20節

       正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。

          ※生まれてすぐ、勝ち負けが決まったように思う人もいれば、死を前にして、まだ、こだわる人もいる。クリスチャンとは、意地から現実を変える人なのだと思う。 。


5月7日(土) コリントの信徒への手紙一15章 55節

        死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。

          ※深く食い込んだ死のとげ。気付く人もいれば、そうでない人もいる。生命が負けてしまうと思うか、だから、復活の希望が神様に与えられたと思うのか、信仰の違いはそこにある。