聖句配信  毎日「神」聞 (4月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「愛憎の世界で」

4月25日(月) 創世記 37章 4節

      兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。

          ※愛と憎しみは、表と裏の関係。一方を愛せば、一方に憎まれる。だからこそ、神のみを愛する。


4月26日(火) 出エジプト記23章5節

        もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。

          憎しみはほっておけば広がる。あの人も、あの人の家も、あの人の物も憎くなる。どこかでそれを止めなければ。

4月27日(水) 詩編119編 161節

        地位ある人々が理由もなく迫害しますが わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。

          ※憎まれることを恐れてはいけない。本当に恐れるのは、決断を誤って自分を憎むことである。

4月28日(木) マタイによる福音書5章 10節

        義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

          ※憎しみを乗り越えて、なすべきことをした人は、どのような結果であれ、平安が与えられる。

4月29日(金) ローマの信徒への手紙8章 35節

        だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

          ※神様を愛すると言うのは、人間の愛と憎しみを超えたところにあるのかもしれません。もう、離れることはできない、と言う感覚なのでしょう。 。


4月30日(土) コリントの信徒への手紙二12章 10節

        それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

          ※人に嫌われることも必要なのでしょう。痛い言葉がその人を救うこともあります。互いに痛みを知れば意味が生まれます。


★ 今週のテーマ 「何もかもご存じです」

熊本大分地震の被災者皆様に平安がありますよう祈ります。

4月18日(月) エレミヤ書17章16節

      わたしは、災いが速やかに来るよう あなたに求めたことはありません。痛手の日を望んだこともありません。あなたはよくご存じです。わたしの唇から出たことは あなたの御前にあります。

          ※熊本での地震を思います。誰も災いを求めません。もしも、あの人たちが私だったらと思うと祈らずにはおれません。被災者それぞれが、強くつながりますように。


4月19日(火) 詩編139編4節

        わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。

          祈ろうとしても言葉が出ないことがある。言葉にならない思いを、神さまは、もう、知って下さっている。

4月20日(水) 歴代誌下6章 30節

        あなたは人間の心をご存じですから、どの人にもその人の歩んできたすべての道に従って報いてください。まことにあなただけが人の心をご存じです。

          ※私の隠していることも、私自身が気付かないことも、神様は知っておられる。自分をよく知るために、神様をよく知らなければならない。

4月21日(木) ヨハネによる福音書21章 17節

        三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」。

          ※「信じているか」、よりも、「愛しているか」の方が大切だと聖書は言います。言葉にはできないけれど、大切な人を思い浮かべて確認する時も必要なのでしょう。

4月22日(金) コリントの信徒への手紙一15章 58節

        主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

          ※私たちのことを知っておられる神様は、その1つ1つの行いを覚えて下さっています。時に無駄になったり、仇になったりしたとしても、神様だけは理解しています 。


4月23日(土) コリントの信徒への手紙二5章 19節

        つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。

          ※誰とでも仲良くしたいと言う思いを持っています。それができない現実があります。そして、いつか、和解する時が神様に与えられることも、忘れてはなりません。


★ 今週のテーマ 「あの喜びを生きる糧にして」

4月11日(月) 詩編27編4節

      ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。

          ※私たちの喜びは変わっていきます。でも、変わらない喜びもあります。どのような状況にあっても、神さまを賛美する心は宝になります。


4月12日(火) イザヤ書 51章 11節

        主に贖われた人々は帰って来て 喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき 喜びと楽しみを得 嘆きと悲しみは消え去る。

          私たちの周りには悲しみが散らばっています。しかし、悲しみの中に喜びも隠されています。神さまがそれを教えてくださいます。

4月13日(水) 申命記4章 36節

        主はあなたを訓練するために、天から御声を聞かせ、地上に大いなる御自分の火を示された。あなたは火の中からその言葉を聞いた。

          ※今日も、神さまが声をかけてくださいます。炎の中で枯れてしまいそうな私の心に、一滴の潤いを与えてくださいます。

4月14日(木) ヨハネによる福音書21章 12節

        イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。

          ※朝食の一時にイエスさまを思い浮かべましょう。この一片のパンが、このご飯がキリストなのです。今日もまた、一緒にいてくださいます。

4月15日(金)ガラテヤの信徒への手紙3章 27節

        洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

          ※見えない不安に飛び込まなくては、何も得ることはできません。私たちの信仰は希望を与え、その希望は力を生みます。


4月16日(土) コリントの信徒への手紙二8章2節

        彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。

          ※どのような出来事も、神さまと出会った喜びを奪い去ることはできません。辛く貧しい時に、なぜか、その喜びがよみがえるのです。


★ 今週のテーマ 「傷に触れる意味」

4月4日(月) イザヤ書42章3節

      傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。

          ※人間は考える葦であり、傷ついた葦であり、そして、痛みに学ぶ葦である。


4月5日(火) 箴言27章6節

        愛する人の与える傷は忠実さのしるし 憎む人は数多くの接吻を与える。

          人を思いやれば、人とぶつかる。人とぶつかれば、人に傷ができる。傷によってしか伝えることのできないものを十字架は示している心感がある。

4月6日(水) エレミヤ書10章19節

        ああ、災いだ。わたしは傷を負い わたしの打ち傷は痛む。しかし、わたしは思った。「これはわたしの病 わたしはこれに耐えよう。」

          ※同じ病気でも、苦しむ姿は違ってくる。苦しみにも個性がある。忍耐する気持ちの底に、その人の大切なものが秘められている。

4月7日(木) ヨハネによる福音書20章 25節

        トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

          ※トマスはまじめだった。その人を知るには、その人の苦しみを知らねばならない。傷を見ようとしない時代に、傷に触れようとする思いを語った。

4月8日(金)ヘブライ人への手紙5章2節

        大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。

          ※病気をしたこともない医者よりも、病気をした医者の方が安心する。相手の傷に向き会うのは、自分の傷を知っている人。キリストもそうでした。


4月9日(土) ヤコブの手紙5章 20節

        罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。

          ※罪とは心の傷です。自分勝手な思いは、周りと自分を傷つけます。何よりも孤独です。今、神様につながっている私が、誰かの傷を覆う助けになれますように。