聖句配信  毎日「神」聞 (3月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「いつも、あなたをみているから」
3月27日はイースターでした。


3月28日(月) イザヤ書43章 04節

      わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする

          ※わたしがわたしの価値を知らなくても、神様はその価値を知っておられる。命は宝なのだから。


3月29日(火) ヨブ記 34章 21節

        神は人の歩む道に目を注ぎ その一歩一歩を見ておられる。

          ※勇ましい一歩も、悩みながらの一歩も、誰かに見守られながら進んで行く。見て下さっていると言う安心感がある。

3月30日(水) 箴言15章 03節

        どこにも主の目は注がれ 善人をも悪人をも見ておられる

          ※立派なことをした時だけでなく、恥ずかしいことをした時も神様は見ておられる。そう感じる時に、自然と悔い改めが始まる。

3月31日(木) ヨハネによる福音書20章 16節

        イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

          ※振り向けば、イエス様がいる。後ろでしっかり支えているから、前を見て進んでいこう。

4月1日(金)ローマの信徒への手紙08章 25節

        わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

          ※私たちの希望は見えないものです。見えないから囚われず、見えないからすがりつくのではなく、常に新しい姿で現れるのです。


4月2日(土) ペトロの手紙一3章 12節

        主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。

          ※喜びを探す目、喜びを素直に聞く耳、喜びを多くに伝える口は祝福されます。復活を信じる人の姿です。


★ 今週のテーマ 「十字架の叫び」
受難週に入りました。
私たちの苦しみは、十字架に苦しみです。

3月21日(月) ルカによる福音書 23章34節

      「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

          ※最大の敵は、自分だと言うことを教えられる。聖書の言葉よ、私を整えてください。


3月22日(火) ルカによる福音書 23章43節

        「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。

          ※今日を生きながら、過去を背負っている。あの愛する人も、楽園にいると言う慰めが、心を軽くする。

3月23日(水) ヨハネによる福音書19章 26-27節

        イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」

          ※失ったものが元に戻ることはありません。そのような欠けた部分を持つ命が、支え合うために寄り添うのです。

3月24日(木) ヨハネによる福音書 19章30節

        イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

          ※人は、始まりも終わりも知ることが出来ません。誰かに見てもらうのです。ですから、任せられるようになることが人生の完成なのです。

3月25日(金)マルコによる福音書 15章34節

        三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

          ※神様はこの私を見ておられないのだろうか。十字架の苦しみは痛みではなく、孤独だった。不器用な私の気持ちを語る時がある。


3月26日(土) ルカによる福音書 23章46節

        イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。

          ※願いや希望が砕け散ったことは数多い。傷だらけの思いで十字架までやってきた。そして、聞こえた。「ゆだねなさい」。


★ 今週のテーマ 「一粒の麦から始まる」

3月14日(月) イザヤ書 61章 11節

      大地が草の芽を萌えいでさせ園が蒔かれた種を芽生えさせるように 主なる神はすべての民の前で 恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。

          ※大地に種を蒔けば、必ず、実を実らせるごとく、神にささげたものは、必ず、大きな報いを生む。


3月15日(火) ホセア書 10章 12節

        恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように。

          ※我田引水と言う言葉とは裏腹に、恵みの雨はどこにでも降る。全体の喜びのために、自分を耕したい。

3月16日(水) コヘレトの言葉11章 04節

        風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない。

          ※リスクを怖がっては投資できない。十字架は「投私」であり、無私になることで、新しい価値を与えられること。神様に拾われた私で生きるのだ。

3月17日(木) ヨハネによる福音書12章 24節

        はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

          ※命は命によって守られる。守られる側から守る側へ、支えられる側から支える側へ、一粒の麦の勇気がほしい。

3月18日(金)コリントの信徒への手紙一15章 20節

        キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

          ※十字架は終わりであり、始まりです。キリストは救いの種となって死にましたが、神の国で私たちを迎える初めの人になられたのです。


3月19日(土) ローマの信徒への手紙12章 08節

        勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

          ※十字架を知る人は「死」を体験する。自分だけの生き方は死に、他者とともにいる世界に新しく生きる。


★ 今週のテーマ 「最期の備えの香り」


3月7日(月) 詩編23編 005節

      わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。

          ※油を注ぐとは、選ばれると言うことです。苦しみを前にしても、あなたなら、乗り越えられると言う励ましが、一人一人の上にあるのです。


3月8日(火) 箴言27章 09節

        香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。

          ※香りは見えないけれど、生きている証です。優しさは見えないけれど、愛されている証です。

3月9日(水) コヘレトの言葉7章 01節

        名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。

          ※私たちの十字架は教えています。苦しみと、その先にある死に向き合う人は、美しいことを。

3月10日(木) ヨハネによる福音書12章 03節

        マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

          ※無駄だと思えることが多くあります。でも、あふれるほどに愛されないと分からないこともあります。愛は無駄を恐れません。

3月11日(金)東日本大震災から5年が経ちました。亡くなった命に哀悼を、残された命にエールを送ります。 コリントの信徒への手紙二1章 21節

        わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。

          ※苦しみに意味はないように思えます。でも、これほど、人間同士を助け合わせ、神に向かわせる出来事がないのも、確かです。


3月12日(土) ペトロの手紙一3章 15節

        心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。

          ※小さな私のために、キリストの尊い血が流された。生きている価値は、かせぐ能力ではなく、自分の十字架をかつぐことにある。

★ 今週のテーマ 「その日には」

※今週は講壇交換で倉敷水島教会の松井先生が説教されました。
2月29日(月) イザヤ書12章 01節

      その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。」。

          ※私たちは過去を背負い、振り返って立ち止まる。しかし、神様が助けてくださる「その日」を待つ人は、未来へと進む生き方をしている。


3月1日(火) ホセア書2章 23節

        その日が来れば、わたしはこたえると 主は言われる。わたしは天にこたえ 天は地にこたえる。

          ※神様に、直接聞きたいことがある。ギモンを胸に神の前に立つ。すべてが自分のためだったことを知る「その日」が来るまで。

3月2日(水) アモス書8章 11節

        見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

          ※今、満たされている人は、その日、飢えを知り、今、飢えている人は、その日、豊かにされるのです。

3月3日(木) マタイによる福音書25章 13節

        だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。

          ※安心とは、何も知らない状態なのかもしれない。いつ、キリストが迎えに来てもいいように備えていたい。

3月4日(金) ルカによる福音書6章 23節

        その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。

          ※あなたの全てをご存じである神様が、「その日」に喜びを与えてくださいます。その涙は一滴も、無駄にはならないのだから。


3月5日(土) ペトロの手紙二3章 10節

        その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。

          ※人間が隠していることは、全て明らかにされます。真実は、いつも光の中に現れます。ですから、私たちも、光の子として、神の前に真実でありたいものです。