聖句配信  毎日「神」聞 (2月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「その日には」

※今週は講壇交換で倉敷水島教会の松井先生が説教されました。
2月29日(月) イザヤ書12章 01節

      その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。」。

          ※私たちは過去を背負い、振り返って立ち止まる。しかし、神様が助けてくださる「その日」を待つ人は、未来へと進む生き方をしている。


3月1日(火) ホセア書2章 23節

        その日が来れば、わたしはこたえると 主は言われる。わたしは天にこたえ 天は地にこたえる。

          ※神様に、直接聞きたいことがある。ギモンを胸に神の前に立つ。すべてが自分のためだったことを知る「その日」が来るまで。

3月2日(水) アモス書8章 11節

        見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

          ※今、満たされている人は、その日、飢えを知り、今、飢えている人は、その日、豊かにされるのです。

3月3日(木) マタイによる福音書25章 13節

        だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。

          ※安心とは、何も知らない状態なのかもしれない。いつ、キリストが迎えに来てもいいように備えていたい。

3月4日(金) ルカによる福音書6章 23節

        その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。

          ※あなたの全てをご存じである神様が、「その日」に喜びを与えてくださいます。その涙は一滴も、無駄にはならないのだから。


3月5日(土) ペトロの手紙二3章 10節

        その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。

          ※人間が隠していることは、全て明らかにされます。真実は、いつも光の中に現れます。ですから、私たちも、光の子として、神の前に真実でありたいものです。


★ 今週のテーマ 「湖畔にのぞむ教会」
(今月から月曜からの順序になっています)

※2月19日は湖山教会創立66周年記念日でした。
2月22日(月) 詩編107編 35〜36、43節

      主は荒れ野を湖とし 砂漠を水の源とし
飢えていた人々をそこに住まわせ 人の住む町を固く立てられた。
知恵ある人は皆、これらのことを心に納め 主の慈しみに目を注ぐがよい

          ※『ゆけども、ゆけども、ただ、砂原。道なきところを一人たどる。』そして、神の声に導かれた一人一人が教会になった。


2月23日(火) イザヤ書40章 11節

        主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

          ※湖山は、日本のガリラヤです。湖山池はガリラヤ湖であり、ガリラヤ(「辺境、田舎」)の意味そのもの。この小さな群れを神は導いて下さった。

2月24日(水) ヨシュア記24章 13節

        わたしは更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。

          ※教会も、信仰も、遠い先輩方からの贈り物。自分で得たものではなく、ただ、神からの愛と、神への愛によって生み出されたもの。感謝、感謝。

2月25日(木) マタイによる福音書 18章 19〜20節

        どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

          ※湖山教会は四人の女性が始まり。一人一人は小さな存在でも、一致すれば強いのです。人と人との間にキリストがおられるからです。

2月26日(金) マタイによる福音書9章 36節

        また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

          ※私たちは神の目にとまり、深い憐れみの中にあります。だからこそ、66周年を迎えることができたのです。


2月27日(土) テサロニケの信徒への手紙一 5章 14節

        兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。

          ※亡き恩人よ、厳しい言葉を、やさしい思いやりを、愛する心を、ありがとう。今や、すべてが自分のもの。何よりも、この私に我慢してくれたことを。


★ 今週のテーマ 「寂しさと誘惑」
(今月から月曜からの順序になっています)

※今週から受難節に入りました。キリストの十字架を見上げながら、私たちのために苦しまれた姿を思い出しましょう。
2月15日(月) 申命記 8章 3節

      主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

          ※食べ物の恨みは深いと言います。でも、恨みは胃袋ではなく心に残ります。神の言葉は心に感謝を思い出させ、感謝は不足を忘れさせます。


2月16日(火) 出エジプト記 17章 2節

        民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」

          ※争いは神様を試すこと。愛されていることを疑う心の隙間に争いは起こる。その疑い深さは、すべての関係を根元から破壊する。

2月17日(水) ヨシュア記 24章15節

        「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」

          ※神様に仕えるとは、同時に、人には仕えないと言うことです。ただ、言いなりに行うのではなく、正しくないことを断るのも信仰の一部です。

2月18日(木) ローマの信徒への手紙 10章 8節

        「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。

          ※あなたが良かったと思う言葉を伝えればいいのです。あなたを支える言葉が、他の誰かをも支えるなら、神様は喜ばれます。

2月19日(金) ヤコブの手紙1章 06節

        いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。

          ※風の噂に波立つ思い。しかし、神様の言葉は流されません。信仰は岸壁のような固さでもあり、昆布のような柔軟さでもあるのでしょう。


2月20日(土) コリントの信徒への手紙二 5章 18節

        これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。

          ※和解のために協力することは神様の働きに仕えることです。1つ1つの和解の上に、神の国がやってくるからでしょう。


★ 今週のテーマ 「感謝に満ちた食卓」


2月8日(月) 出エジプト 13章2節

      「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」

          ※食事とは命のやり取りです。食べられて当然だと言う命はなく、すべて、神の手が頂くのです。今日も、いただきます。


2月9日(火) 2列王記 4章43節

        召し使いは、「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えた。エリシャは再び命じた。「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」

          ※人に良いこと、と書いて「食」と言う字が成り立ちます。それは、分け合ってこそ、食事が成り立つからです。

2月10日(水) レビ記 3章11節

        祭司はこれを祭壇で燃やして煙にする。これが燃やして主にささげる食物である。

          ※どの食卓にも神様がおられる。「キリストは我が家の主。食事ごとの見えざる客、会話ごとの静かなる聴き手」。

2月11日(木) ヨハネによる福音書 6章9節

        「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

          ※神様は小さな者がささげた小さなものを見過ごされない。祝福によって何倍にも豊かにしてくださる。

2月12日(金) 1コリントの信徒への手紙 10章17節

        パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。

          ※分け合うことは、つまり、1つになることなのです。教会には、必ず、あなたの分が取り分けられて、あなたが来るのを待っています。


2月13日(土) 使徒言行録 10章34節

        そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 」

          ※福音とは、喜びによって分け与えることです。それは、キリストの十字架がすべての人のためにあるからです。この喜びは、利害を超えて働きます


★ 今週のテーマ 「自分を担いで生きる」


2月1日(月) 詩編 12編6節

       主は言われます。
「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために
今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」

          ※暗闇の中でこそ、希望の光は強く輝く。悲しみの中で見つけた喜びは絶えることがない。

2月2日(火) 箴言24章16節

        神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。

          ※七転八倒か、七転び八起きか、どちらも人生にはある。信仰は、杖。神様がいると言う思いで、重荷が半分軽くなる。

2月3日(水) ミカ書7章8節

        わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。
たとえ闇の中に座っていても 主こそわが光。

          ※挫折して座り込んで進まない時、周りに置いて行かれる不安があります。でも、振り返って、これまでの一歩一歩を確かめる機会にもなります。

2月4日(木) ヨハネによる福音書5章8節

        イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」

          ※床とは、ずっと横になっていたい、そこにいればいいかと思わせる弱さのことです。みんな、そのような自分を背負って生きています。

2月5日(金) 使徒言行録26章16節

        起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。

          ※自分のいるべき場所が分かれば、物事は進んで行きます。神様は、私たちが立つべき土台です。生きなければならないのではなく、生きよと呼びかけられています。

2月6日(土) ガラテヤの信徒への手紙6章2節

        互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。

          ※私たちは互いに気持ちを担い合う関係でありたいものです。祈りは心の架け橋です。