聖句配信  毎日「神」聞 (12月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「飼い葉おけに眠る御子」

12月26日(月) ミカ書5章1節


       「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味であるエフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。

        キリスト誕生の預言。いと小さき者の中から救い主が現れるのです。誰も目を留めない命に、神様は目を留められるのです。


12月27日(火) イザヤ書9章5節

      ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。

        キリスト誕生の預言。相手に強いるのではなく、力を見せつけるのでもなく、謙遜で、和解を求める方、それがイエス様なのです。

12月28日(水) エレミヤ書 23章 5~6節

      見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え この国に正義と恵みの業を行う。彼の代にユダは救われ イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

        キリスト誕生の預言。宝くじを買わなければ当たらないのと同じように、信じなければ救いを見つけることもできないのです。待っている人に救いは来るからです。

12月29日(木) ルカによる福音書2章12節

      あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

        神の子は飼い葉桶におさまるほどに小さくなって私たちの世界に来られました。私たちの目線に立ってくださったのです。

12月30日(金) マタイによる福音書18章4節

      自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 

        自分を小さくすること、自分を捨てることこそ愛の姿です。キリストの誕生がそれを教えています。

12月31日(土)フィリピの信徒への手紙2章6~7節

     キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

     今年も神様ありがとうございました。何の価値もない私のために、神は人となって救いに来てくれたのです。それが来年へつなぐ希望です。

★ 今週のテーマ 「アドベント④愛」
※第4のろうそくは愛という名前です。


12月19日(月) マタイによる福音書1章23節


       「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

        イエス様は共にいていれる存在です。見えないけれど、見えないからこそ、近くに感じるのです。


12月20日(火) イザヤ書8章10節

      戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我らと共におられる(インマヌエル)のだから。

        聖書は誠実に言います。何かを受けて喜ぶのではなく、今あるものを神様に与えられたとして喜ぶようにと計画が挫折した時、決定が実現しなかった時、私たちは神の御心のみが歴史に起こることを知ります。

12月21日(水) 出エジプト記3章12節

      神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」

        神さまはいつも共に歩んでくださっている。振り返れば、そこにいるのだ。

12月22日(木) 申命記31章6節

      強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。

        一人の時も、二人だと思いましょう。そのもう一人はイエス様なのです。

12月23日(金) コリントの信徒への手紙一15章10節

      神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 

        努力は、努力だけでは意味を持ちません。それを実らせるのは神様です。

12月24日(土)ヨハネの黙示録21章3~4節

     「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」

     愛するとは一人ではできません。神さまとの二人三脚によって愛は育ちます。

★ 今週のテーマ 「アドベント③喜び」
※アドベント第3週に入りました。第3のろうそくは「喜び」です。


12月12日(月) 詩編104編15節


       ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ パンは人の心を支える。

        「ありがとう」は心を喜ばせ、「すてきだね」は顔を輝かせ、「あいしてる」は心を支える。


12月13日(火) 申命記 12章 7節

      あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。

        聖書は誠実に言います。何かを受けて喜ぶのではなく、今あるものを神様に与えられたとして喜ぶようにと。

12月14日(水) 詩編149編 5節

      主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 伏していても喜びの声をあげる。

        この人は、背負いきれないものがあって地に伏しているが、その顔は喜んでいる。体は倒れても、顔は天を向いている。

12月15日(木) ルカによる福音書1章 48節

      身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう。

        母マリアの言葉です。小さな命を預かって育てることは大変です。今は大変だけれども、その先に神様が喜びを準備してくださっていると信じているのです。

12月16日(金) ヨハネによる福音書16章 21節

      女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 

        命は受け継がれていきます。この命が、何か大切なことを伝える鎖の輪の一つと思えば、苦しくても生きる意味があります。

12月17日(土)コロサイの信徒への手紙2章 5節

     わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます。

      キリストの命日ではなく、生まれた日を覚えるのです。なぜなら、死が人を分かつのではなく、信仰によって人はつながり続けるからです。つながりこそ、喜びです。

★ 今週のテーマ 「アドベント②平和」
※アドベント第2週に入りました。第2のろうそくは「平和」です。


12月5日(月) 創世記3章9節


       主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」

        聖書の言う平和とは神との和解です。罪とは神様から離れて、どこにいるのか分からない状態なのです。


12月6日(火) 詩編51編5節

      あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。

        完全な人間はいません。しかし、人間の弱さは魅力でもあります。弱さのゆえに謙遜を知るからです。

12月7日(水) ミカ書4章3節

      主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。

        剣や槍は武器のことではありません。私たちの心の形です。神様が私の心を打ち直してくださるのです。

12月8日(木) マルコによる福音書6章4節

      イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。

        みんなにとって良いことが、自分にとって良いことではないがある。それでも、イエス様はそれを行う姿を見せておられる。

12月9日(金) ヤコブの手紙5章10節

      兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。 

        平和とはバランスです。恐れる心と、それを乗り越えようとする心のバランスです。

12月10日(土)コリントの信徒への手紙二5章19節

     つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。

      平和とは神との和解です。神との和解は、人との和解を生みます。すべてとの和解の始まりです。