聖句配信  毎日「神」聞 (10月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです



★ 今週のテーマ 「正義の彼方」

10月31日(月) 創世記15章6節


       アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

        正義は立場や時代によって変化してきた。だからこそ、正義はいつも、人の生涯において試されている。


11月1日(火) イザヤ書32章17節

      正義が造り出すものは平和であり 正義が生み出すものは とこしえに安らかな信頼である。

        正義が崩れる時に、平和は崩れ、正義が崩れる時に信頼も崩れる。表も裏も見せられる人がどれほど世界にいるだろうか。

11月2日(水) ハバクク書2章4節

      見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。

        正義が見えない時があるからこそ、信仰がある。希望する力は、その人を神さまのもとへと導く。

11月3日(木) ローマの信徒への手紙3章22節

      すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

        信仰とは、人の歴史の中で必ず神が働いてくださるという希望であり、それを待望することです。

11月4日(金) マタイによる福音書9章5節

      『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」  

        正しいかということよりも、やさしいかが大切である。正義の彼方に、神さまの思いはある。

11月5日(土)コリントの信徒への手紙二5章5節

      わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。

      罪を負い、悪を思う私は、神の前にふさわしくない。ふさわしくないと理解している時にのみ、神さまは、その光で照らしてくださる。

★ 今週のテーマ 「聖書に問い続けて」

※23日は特別集会として、元鳥取大学教授の中島路可先生からお話を聞きました。

10月24日(月) 詩編42編2節


       涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。

         神さまの気持ちはどこにあるのか。生きる意味に渇いている人よ、聖書は必ず答える。


10月25日(火) イザヤ書34章16節

       主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。それは、主の口が命じ 主の霊が集めたものだからである。

         聖書の、その一節に向き合い、その一句に向き合う。文字と文字の間に込められた深い憐みを探し求めよう。

10月26日(水) エレミヤ書 29章12~14節

       そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。

         私の命を造られた方、その方に聞かなければならない。私は神さまに、この世界に何を求められているのかを。

10月27日(木) ルカによる福音書12章31節

        ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。

          祈りが届かないのは、まだ、私が本当に必要なものを知らないからなのだろう。本当に大切なものは一つなのだから。

10月28日(金) テモテへの手紙二3章16節

        聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。  

          聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

10月29日(土)ローマの信徒への手紙15章4節

       かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

       ただ、神さまの言葉にのみ希望を持つ。友とぶつかり、家族と離れようとも、神さまの言葉は風のように響く。

★ 今週のテーマ 「光の中を歩もう」

※10月15日にひかりこども園50周年を迎えました。

10月17日(月) イザヤ書2章5, 11節


      ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。その日には、人間の高ぶる目は低くされ 傲慢な者は卑しめられ 主はただひとり、高く上げられる。

          ひかりこども園の歩みは神さまの光の中にありました。その功績をたたえられるのは、主、ただひとりのみです。


10月18日(火) コリントの信徒への手紙一3章6節

        わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

          悩んだからといって育つわけではありません。子どもたちを育て、その園を育てたのは神さまへの信頼でした。

10月19日(水) 申命記2章7節

       あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。

          荒れ野で苦労した40年を、ひかりこども園も体験しました。でも、不思議なことに「何一つ不足しなかった」という恵みがありました。

10月20日(木) コヘレトの言葉12章1節

        青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。

          幼い時に祈りを知り、見えない存在を知ること。これは人生の大きな財産であり、その働きをひかりこども園は担っています。

10月21日(金) マタイによる福音書15章27節

       女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」  

          最初に働かれた4人の女性を忘れてはなりません。子どもたちを守るために、必死に神様に求めました。

10月22日(土)マタイによる福音書5章16節

      そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

      ひかりのこは、明るく、元気に、正しい子です。喜びと信頼と愛を心に深く根差した子どもたちが、これからも生み出されますように。


★ 今週のテーマ 「美しい犠牲」


10月10日(月) ホセア書6章6節


      わたしが喜ぶのは 愛であっていけにえではなく神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。

          犠牲という言葉に慣れてはいけない。一人だけに負わせることを疑わなければならない。あなたがわたしなら、その感覚をいつも胸に。


10月11日(火) 創世記22章12節

        「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

          神さまは犠牲を求めない。神様のためだからと言って自分を引きずってまで何かして欲しいこともない。自分を犠牲にすることも赦されてない。

10月12日(水) ヨハネによる福音書11章50節

        一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。

          みんなのためにという名目で、小さなものが消されていく。犠牲を求めているのは神さまではなく、人間だからだ。

10月13日(木) ヨハネによる福音書12章24節

        はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

          犠牲は美化されることがある。英雄になることも同じである。確かにキリストはこの一粒になられたが、命を捨てることよりも、自分を捨てることではないだろうか。

10月14日(金) ヘブライ人への手紙9章26節

       世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。 

          十字架の死は犠牲でした。人類最後の犠牲であるようにとの願いがここにあります。犠牲のない世界への架け橋となるために。

10月15日(土)詩編51編19節

      しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。

      何かの理由を他者に求めるようになれば、自分の人生を犠牲にします。私が私であるために神と向き合うよう、十字架が語りかけています。


★ 今週のテーマ 「プラチナ世代」


10月3日(月) 詩編92編15~16節


      白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきとし 述べ伝えるでしょう わたしの岩と頼む主は正しい方 御もとには不正がない、と。

          神に祈る人は年を重ねる中で多くのことを学ぶ。何よりも、神に頼って生きることは平安だからです。


10月4日(火) イザヤ書 46章4節

        わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

          神様は、命をつくり、命を育て、最後に受け取られる方です。神様、おんぶしてください。

10月5日(水) 箴言 16章31〜32節

        白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。

          世間では最近、お年寄りをシルバーと言わずにプラチナ世代と言うそうです。人生の最も豊かな時を、神を信じ、人を信頼することの大切さを知るからだと思います。

10月6日(木) マタイによる福音書16章 24節

        それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 」

          「自分を背負って歩いている」そう語った人がいます。肉体の衰えの中で、自分という十字架を背負い、キリストに従いたいです。

10月7日(金) コリントの信徒への手紙二4章16節

       だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 

          顔をしわくちゃにしながら笑う人がいます。内なる人が輝いているように感じます。

10月8日(土)エフェソの信徒への手紙3章 16~17節

      どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

      永遠の愛、変わらぬ愛という言葉があります。超高齢化社会の中で教会が示すものは、人間に向かう神の愛の価値です。