聖句配信  毎日「神」聞 (9月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです

                     


★ 今週のテーマ 「持つ者と持たない者」 

★ 9月30日(水) イザヤ書 61章1節

             主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

             ※貧しいのは、神の目に留らないからではなく、貧しいことで、神の目に留まることを聖書は語る。


★ 9月29日(火) 箴言 22章2節

             金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた。

             ※金持ちと貧乏な人がいる、のではなく「出会う」ことを神は計画しておられる。ただ、無関心がその出会いを破壊する。


★ 9月28日(月) 創世記 22章17節

             あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。

             ※この世には多くの物を持つ者と、何も持たない者がいる。しかし、神がどちらを祝福しているかは分からない。



★ 今週のテーマ 「小さなことを忠実に」 

★ 9月26日(土) ローマの信徒への手紙 16章10節

             ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事にも不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

             ※物事に雑用はなく、仕事に卑賤はないと思う。つまらないこと、小さなことに私がどう対処するかを、神さまは見ておられ

               るのだろう。


★ 9月25日(金) テモテへの手紙1 6章17節

             この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊

             かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

             ※お金は信頼によって価値が守られている。人への信頼は価値を、神への信頼は命を守る。


★ 9月24日(木) ルカによる福音書 16章13節

             どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるかで

             ある。あなたがたは、神と富に仕えることはできない。

             ※神さまと豊かさも、どちらも必要であるけれど、自分の軸足が常にどこにあるかを忘れては全てを失うことになる。


★ 9月23日(水) ヨブ記 6章14節

             絶望している者にこそ 友は忠実であるべきた。さもないと 全能者への畏敬を失わせることになる。

             ※考えを否定せずに受け入れられる時に、神さまに受け止められたような気がする。


★ 9月22日(火) 箴言 27章6節

             愛する人の与える傷は忠実さのしるし 憎む人は数多くの接吻を与える。

             ※人に向き合うことは難しい。忠実であればこそ、恐れずに、率直に伝えることもある。


★ 9月21日(月) レビ記 25章18節

             あなたたちは私の掟を行い、わたしの法を忠実に守りなさい。そうすれば、この国で平穏に暮らすことができる。

             ※神さまの掟は、時代を超え、国家の法を超えている。それを忘れてしまうと、人が神になろうとしてしまう。


★ 今週のテーマ 「帰りを待つ人」 

★ 9月19日(土) フィリピの信徒への手紙 3章20節

             しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待ってい

              ます。

             ※私たちの国籍は天にあり、天の国は帰るべき「家」なのです。父なる神さまの手がゴールラインなのです。


★ 9月18日(金) コリントの信徒の手紙1 8章6節

             わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。

             ※命は来たところに帰っていくなら、死に向かって生きる私たちは、また、神のもとに帰る日々を歩んでいるとも言える。


★ 9月17日(木) ルカによる福音書 15章21節

             息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はあ

              りません。』

             ※誰でも、神さまに対して、人に対して、大きな過ちがあったことを悔い改めるなら、本当の自分があるべき場所に帰ること

               ができます。


★ 9月16日(水) ホセア書 6章1節

             「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし 我々を打たれたが、傷を包んでくださる。」

             ※思いもしない痛みや苦痛は、実のところ、神さまのもとに帰るタイミングなのかもしれません。


★ 9月15日(火) 詩篇 23章6節

             命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

             ※私たちは神さまの手から逃れることはできません。いつか、抱きかかえられて神の家に帰るのです。

★ 9月14日(月) 創世記 28章15節

             見よ、わたしはあなたとともにいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは

             あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。

             神さまの願うことではなく、自分の思うように生きている。もう戻ることはできないと思う私をも、神さまは見捨てておられ

               ない。


★ 今週のテーマ 「人生のスパイス」 

★ 9月12日(土) ヘブライ人への手紙 11章1節

             信仰とは、望んでいることを確信し、見えない事実を確認することです。

             見えないものを確認したい気持ちにかられますが、ここか、あそこかと探すのではなく、私の中にあると信じるのです。


★ 9月11日(金) ヨハネの手紙1 2章15節

             世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

             度ある毎に、神さまの前に帰って来ることで、気持ちのズレ、ブレを直して健やかにしてくださいます。


★ 9月10日(木) マタイによる福音書 22章39節

             第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』

             神さまの愛の上に、人への愛がある。遠すぎず、近すぎずの距離です。


★ 9月 9日(水) 申命記 6章5節

            あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

             気をつけたいのは、愛するとは、その他を排除することではなく、優先順序のことだということです。


★ 9月 8日(火) ヨブ記 2章10節

            「お前まで愚かなことを言うか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」

             
※ヨブとその妻は信仰のことでケンカした。でも、誠実に説明する姿によって。新しい家庭を作ることが出来た。
       

★ 9月 7日(月) 創世記 22章12節

            「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげること

             を惜しまなかった。」

             ※教会生活は、時に家族の犠牲の上にある。しかし、こうも考えられる。犠牲にした分だけ、愛そうとする気持ちが家庭を

               支えていると。そう愛情のスパイス。         



★ 今週のテーマ 「神さまに招かれて」 

★ 9月 5日(土) エフェソの信徒への手紙 4章4節

            体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。

             ※神さまに向き合うことは、一人ひとりよって考えが違います。そして、多くの違いを認めつつも、最終的には1つの希

               望があることに気付くのです。


★ 9月 4日(金) コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章25節

            心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられま

             す」と皆の前で言い表すことになるでしょう。

             ※私たちに必要なのは、聞いてくれる人と、打ち明けられる場所があることです。教会もそうであるようにと、いつも願っ

               ています。


★ 9月 3日(木) ルカによる福音書 14章10節


            招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んで下さ

             い』と言うだろう。

             ※社会では順番や席次が問題になります。でも、教会には上席も末席もなく、あなたのために、あなたの場所が用意さ

               れているのです。


★ 9月 2日(水) 歴代誌下 29章29節


            焼き尽くす献げ物をささげ終わると、主および彼と共にいた人々は皆ひざまずいて礼拝した。

             ※神さまの前で、偉い人や階級などは意味がありません。みんな、同じ人間としてひざまずいて礼拝します。一人の

               人間に戻る時が礼拝なのです。


★ 9月 1日(火) 出エジプト記 3章5節

            神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」

             ※それは柴が生える荒地の真ん中でした。この世界を造った神さまにとって、世界のどこでも、祈れば礼拝の場になる

               でしょう。