聖句配信  毎日「神」聞 (11月) 

                     

                      ※は森嶋牧師のコメントです


★ 今週のテーマ 「アドベント第1週 希望」

   今週からアドベント期間に入ります。クリスマスに御子イエスを迎える準備をいたしましょう。


★ 11月30日(月) 詩篇 62章6節

             わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
   
             ※主を待ち望むアドベント、世間の忙しさと騒がしさから離れ、かすかに聞こえるキリストの足音に、気持ちを傾けましょう。


★ 今週のテーマ 「あなたはわたしに従いなさい」

   今週は秋の特別集会でした。講師は坂岡隆司氏(ミッションからしだね理事長)

★ 11月28日(土) ペトロの手紙Ⅰ 4章10節

             あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして

              互いに仕えなさい。
   
             ※一人で出来るようにと自立することを求められます。しかし、私たちは互いを支え合う時に、持てる以上の力を発揮するの

              です。

★ 11月27日(金) ルカによる福音書 13章18~19節

             そこでイエスは言われた。「神の国は何に似ているのか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取っ

              て庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
   
             ※からし種とはわずか0.5ミリの小さな種。それと同じく、希望は常に小さいものです。希望を持つ人は、それゆえ、謙虚な
          
               のです。

★ 11月26日(木) 詩篇 97章11節

             神に従う人のためには光を 心のまっすぐな人のためには喜びを 種蒔いてくださる。
   
             ※神様は実ではなく、種を与えて下さる。それは、成長する中で悲しみを喜びに、痛みを感謝にする力を備えるためだと思
              
               います。

 

★ 11月25日(水) ルカによる福音書 10章37節

             律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行ってあなたも同じようにしなさい。」
   
             ※坂岡隆司氏の語る「礼拝・仕える」。人に仕えることは礼拝でもある。マザー・テレサ「この貧しい方、病気の方はキリスト
 
               様なんです」

★ 11月24日(火) マタイによる福音書 25章40節

             『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
   
             ※坂岡隆司氏の語る「小さい者」。社会には目に留まらない人が多くいます。そこに光を当てるのが聖書の力です。小さい

               者を支えようとする輪の中にキリストもおられます。

★ 11月23日(月) ヨハネによる福音書 13章8節

             (弟子)ペテロが、「わたしの足など決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あ

              なたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。

     
             ※坂岡隆司氏の語る「関わり」。足は最も汚れる部分です。心の闇と心の病みを共有することができるなら、お互いの絆は

              強いものになるでしょう。



★ 今週のテーマ 「おめでとう、ありがとう」

★ 11月21日(土) ルカによる福音書 18章16節

             しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神

              の国はこのような者たちのものである。」

     

             ※乳飲み子ですから、お父さん、お母さんも一緒にいたのでしょう。子どもの祝福は、家族の祝福であり、「おめでとう」と「

               ありがとう」を互いに言い合う家庭を神様は願っておられるのです。



★ 11月20日(金) 
マタイによる福音書 18章3~4節

             
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、こ

              の
子供のようになる人が、天の国で、いちばん偉いのだ。」

     
             ※子どもは、心を入れ替えたり、自分を低くしたりするだろうか。そうではなくて、私たちが子どもの気持ちを知るために、心
  
               を入れ替え自分を低くする必要があるだろう。


★ 11月19日(木) 

マルコによる福音書 10章14節

             
イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国は

              このような者たちのものである。」

     
             ※時々、子どもたちの声がうるさく感じる自分がいます。どこかで邪魔にしている自分がいるのでしょう。でも騒がしい泣き

              顔さえ、神様を賛美しているのです。


★ 11月18日(水) 
サムエル記上 17章45節

             
ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエ

              ルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。」
     
             ※少年ダビデは勇気を持ってペリシテ人で最も強いゴリアテに語りました。神様に守られているという思いは何にも負けな

               かったのでした。

             
★ 11月17日(火) 
イザヤ書 11章1~2節

             
エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。知識と識別の霊

              思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。
     
             ※これは英雄ダビデ王のことを語っています。どのような立派な人も、小さな頃に何を学ぶかが大切です。見えない存在を

               知り、高ぶらずに尊敬する心です。             


★ 11月16日(月) 
サムエル記上 3章10節

             主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話くだ

              さい。僕は聞いております。」

             ※神様はいつも、子どもたちに声をかけておられている。小さなギモンをそのままにせず、1つ1つの思いに向き合う心を持
              
               ち続けたい。


★ 今週のテーマ 「わたしはそこにいます」

★ 11月14日(土) ヨハネによる福音書 15章5節

             わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、そ

              の人は豊かに実を結ぶ。

             ※人とつながり、神様とつながれば、できないことはない。一人で頑張ろうとする、その自分が一番やっかいな存在である。


★ 11月13日(金) ヨハネによる福音書 14章6節

             イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができな

              い。」

             ※何事にも近道を探そうとしてしまう。急ぎ足で答えを通りすぎることもある。あなたの歩幅で、一歩ずつ進めと言われてい

               るようだ。


★ 11月12日(木) ヨハネによる福音書 11章25節

             イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、死んでも生きる。」

             ※死んでも生きるなんて、馬鹿らしいという声もある。でも、死んだら終わりなんて言われるより、命を感じる。


★ 11月11日(水) ヨハネによる福音書 8章12節

             イエスは再び言われた。「わたしは世の光であえる。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

             ※暗闇に溶け込むように、社会や集団の中に埋没する生活の中で神様の光は一人一人を照らす。輝いて生きよと。


★ 11月10日(火) ヨハネによる福音書 6章51節

             わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンと

             は、世を生かすためのわたしの肉のことである。

             ※この世界は食べる者と食べられるものの世界。その反対に、受けるよりも、与える方が幸いである世界もある。

               である。 



★ 11月9日(月) 出エジプト記 3章14節

             「イスラエルの人にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

             ※自己主張している時に、自分がちいさな存在であることを知る。見えない神様を信じるとは、その小さな自分を認めること

               である。 



★ 今週のテーマ 「命の種、芽吹く」

★ 11月7日(土) コリントの信徒へ信徒への手紙 15章43節

             蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。

             ※復活とは、どのような姿なのでしょうか。どのような姿であれ、私たちは必ず、神の国で愛した人々を見分けることができ 
               るでしょう。私たちの中に、愛した人たちが生きているからです。


★ 11月6日(金) ヤコブの手紙 1章12節

             試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。

             ※生きる人はみな、命を背負っています。自分の命だけでなく、他者から託された思いを受けています。「生きよ、生きて」と

              という声が、背中から聞こえてくるのです。


★ 11月5日(木) ヨハネによる福音書 11章4節

             イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって

             栄光を受けるのである。」

             ※命は肉体とともに失われていまうように感じます。でも、命は、神様のところから来て、神様のもとに帰っていくのです。


★ 11月4日(水) 詩篇 90章10節

             人生の年月は七十年程のものです。健やかな人生が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に

             時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

             ※数多くの命がこの世界に生まれ、数多くの命が去っていきます。一人の命は小さなものですが、どの命も神様は忘れて

               おられません。


★ 11月3日(火) ヨブ記 1章21節

             「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

             ※私たちの生も死も、神様の知らないところで起こるのではありません。死を喜ぶのではありません。死を、人生の完成と

               として、神様の働きとして敬うのです。

★ 11月2日(月) 創世記 3章19節

             お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。お前がそこから取られたように。塵に過ぎないお前は塵に返る。

             ※美しいものも、みすぼらしいものも、強いものも、弱いものも、すべては土に帰ります。人間もそうです。でも希望の種を

               抱くことはできます。