聖句配信 毎日「神」聞 (5月)
※は森嶋牧師のコメントです
★ 今週のテーマ 「悲しみを喜びに」
★ 5月31日(土) コリントの信徒への手紙U 7章9節
今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。
※悲しみからも何かを見つける人は、何事にも喜びを見つける才能がある。
★ 5月30日(金) コリントの信徒への手紙U 6章10節
悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、
すべてのものを所有しています。
※ありのままを嘆くよりは、神さまが私に望んでいる「あるべき姿」となって生きたい。
★ 5月29日(木) ヨハネによる福音書 16章20節
あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
※母は腹を痛めて子を産む。大きな喜びもまた、苦しみの中から、苦しみによって生み出される。
★ 5月28日(水) 詩編 30編6節
泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
※もう、周りは朝になっているのかもしれない。心のカーテンを開けて、朝に涙を残さないように。
★ 5月27日(火) イザヤ書 35章10節
主に贖われた人々は帰って来る。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。
※悲しみの渦から、神さまは助け出される。涙のすじ跡は洗い探され、新しい喜びにいやされる。
★ 5月26日(月) ネヘミヤ書 8章10節
悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。
※自分のことを喜べなくても、神さまのことを喜ぶことが、前に進む力になる。
★ 今週のテーマ 「人間は石ころ」
★ 5月24日(土) ペトロの手紙T 2章5節
あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
※蹴り飛ばされた石は、転がりながら角を丸める。私たちも失敗に転びながら、心の角を丸めたい。
★ 5月23日(金) コリントの信徒への手紙U 3章3節
あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。
墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
※石の板を持ち歩かずとも、私たちは神に与えられた感受性と良心によって、人々に伝えるのです。
※石の板とは、神の戒めを書いたもの。十戒。
★ 5月22日(木) 使徒言行録 7章59節
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
※ステファノは石打ちの刑になった。でも、彼の心は全ての石を受け止めた。柔よく剛を制し、愛は敵意を包む。
★ 5月21日(水) レビ記 24章16節
主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。
※古代には石打ちの刑があった。怒りや許せない思いは、相手を打ちのめす「石のつぶて」となった。
私の言葉や態度も石になっていないだろうか。
※石打の刑:旧約聖書時代の死刑。全員で罪人に石を投げる刑。
★ 5月20日(火) エゼキエル書 11章19節
わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、
肉の心を与える。
※石の心は固い心。相手を受け入れる柔らかい心にしてください。
★ 5月19日(月) 詩編 118編22節
家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。
※誰の目にも止まらない人は道ばたの石ころのように寂しい。神さまはそれを拾って積み上げてくださる。
★ 今週のテーマ 「母なるもの」
★ 5月17日(土) ヨハネによる福音書 19章27節
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子は
イエスの母を自分の家に引き取った。
※私たちには「母なるもの」が必要です。背負っていながら、背負われているのです。
★ 5月16日(金) ガラテヤ書 4章26節
天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
※教会もまた、母なるもの。受け入れ、育て、立ち上がらせるところです。
★ 5月15日(木) マルコによる福音書 3章35節
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。
※肉親の母とともに、私たちは多くの「母なる」存在に助けられている。
★ 5月14日(水) イザヤ書 66章13節
母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。
※全てを包む「母なるもの」のように、神さまは私たちを守っておられる。
★5月13日(火) 出エジプト記 20章12節
あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
※両親に仕えることは、それを与えた神さまに仕えることなのです。
★ 5月12日(月) 創世記 27章13節
「わたしの子よ、そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。
ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」
※母は強い。痛みの中で命を生み出すから、その尊さを知っている。
★ 今週のテーマ 「救いの入り口」
★ 5月10日(土) ペトロの手紙T 2章24節
十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
※何事も無に終わることはなく、全ての終わりに答えが用意されています。
★ 5月 9日(金) コリントの信徒への手紙U 13章4節
キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。
※犠牲とは、失ったけれども、それによって得る物があるという希望です。
★ 5月 8日(木) ヨハネによる福音書 10章18節
わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。
※救いの入口は見え方の変化にある。喪失を「捨てる」と見直すことから始まる。
★ 5月 7日(水) エレミヤ書 18章18節
「祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。」
※人から忍耐が、信仰から希望が失われることはない。
★ 5月 6日(火) 詩編41編4節
主よ、その人が病の床にあるとき支え 力を失って伏すとき、立ち直らせてください。
※悲しみで終わるのではなく、そこから始まるという生き方がある。
★ 5月 5日(月) 創世記 22章14節
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。
※どのような時にも、前もって神さまがあなたの道を用意してくださる。